博物館でのTony Duquette-Hutton Wilkinson(トニー・デュケット-ハットン・ウィルキンソン)の宝飾品の展示会


デュケット 太陽の原動力 ブローチ

熊手を枝とする木々。 マラカイト生地。 竹馬に乗ったバレエダンサー。 金色のロブスターに吊り下げられた鏡。  

これらは、世界的に有名なデザイナー、Tony Duquette(トニー・デュケット)とHutton Wilkinson(ハットン・ウィルキンソン)のスタイルを象徴する作品のほんの一例です。 Duquette(デュケット)は、ハリウッドの黄金時代、ミュージカル向けの衣装やセットを作成した際に、これらすべてとそれ以上を産み出しました。 彼と、長年のビジネスパートナーでデザインのコラボレーターであるWilkinson(ウィルキンソン)は、演劇、ダンス作品だけでなく、個人顧客の家のためにもデザインしました。  

1999年に亡くなったDuquette(デュケット)は、ほとんどすべてのものを芸術的に使用することを夢見ることができ、平凡なものを彼の非凡な作品に使用することを決して躊躇しませんでした。 「贅沢さでなく、美しさにこそ、私は価値を見出す」が彼のマントラでした。  

「私は、自分の求めている品質を取り入れるのに役立つものは何でも使用するでしょう。道や屋根裏で、砂漠で、海で、節くれだった木の根元で見つけたものを、カタツムリ自身の殻でさえも。 自然と時間の象眼を作り、呪文をかける、発明のエッセンス…個人の文化」と、Duquette(デュケット)は自身の作品についてこう言います。  

彼は、自分の母、叔母、妻のためにに、そして後には個人顧客のために、同様のデザイン感性で宝飾品を創りました。 彼は「宝飾品と、明るい、光沢のあるものへの生涯にわたる魅了」を感じていたと、Wilkinson(ウィルキンソン)は述べます。  

GIA博物館の学芸員であるTerri Ottaway(テリー・オタウェイ)は、カールスバッドにあるGIA博物館の展示で、この伝説的な宝飾品を提示できることに感激しています。

「それらについて、微妙なものは何もありません」と、Ottaway(オタウェイ)は言いました。 「彼らが創作した珍しい宝石の選択を見るのは素晴らしく、また、こうした型破りな素材がどんなにうまく組み合わされているかを見るのも驚異的です。」  

GIAの宝石学講師、Larry Larson(ラリー・ラーソン)は同意します。 「宝石に完璧さを求めて探すのではなく、インスピレーションで色を選んだ方法について触れるのは興味深いことです」と、彼は語りました。 「彼らは常に単なる美しさよりも、強さを求めているように見えました。」  

Duquette(デュケット)はMGMスタジオ、20世紀フォックス、ユニバーサルスタジオのために社交シーン、ファッションそしてドリームシーケンスをデザインしていたと同時に、彼の初期の宝飾品作品を作りました。 彼の映画作品には、Fred Astaire(フレッド・アステア)とLucille Bremer(ルシール・ブレマー)出演の『The Ziegfeld Follies(ジーグフェルド・フォリーズ)』、Zsa Zsa Gabor(ザ・ザ・ガボール)出演の『Lovely to Look At(ラブリー・トゥー・ルック・アット)』、Cary Grant(ケーリー・グラント)とGrace Kelly(グレース・ケリー)による『To Catch a Thief(泥棒成金)』などがあります。 伝説のディレクターVincent Minnelli(ヴィンセント·ミネリ)とAlfred Hitchcock(アルフレッド·ヒッチコック)は、そのセットに大胆で幻想的な作品を持って来るために彼のフリーランスデザイナーとしての能力を求めました。  

人々はDuquette(デュケット)の作品と恋に落ち、自宅に彼の魔法のインテリアを創りだしてくれるよう頼みました。 彼の個人顧客には、Mary Pickford(メアリー・ピックフォード)とBuddy Rogers(バディ・ロジャース)、J. Paul Getty(J. ポール・ゲッティ)、Elizabeth Arden(エリザベス・アーデン)のほか、David O. Selznick(デビッド O. セルズニック)とJennifer Jones(ジェニファー・ジョーンズ)などが名を連ねました。 その後、Duquette(デュケット)とWilkinson(ウィルキンソン)は、Herb Albert(ハーブ・アルバート)とDoris Duke(ドリス・デューク)のために自宅やパーティーを飾りました。 彼らはまた、John and Dodie Rosekrans(ジョン&ドディー・ローゼンクランス)の、イタリアのヴェネツィアにある12世紀築のパラッツオォ ブランドリーニと、パリのプラス ドゥ パレ ブルボンにあるアパルトマンのインテリアを担当しました。  

「Tony Duquette(トニー・デュケット)は目利きで、夢を生き、究極のセットを創造しました」とは、Wilkinson(ウィルキンソン)がDuquette(デュケット)について書いた豪華本『More is More(モア イズ モア)』の前書きに、ファッションデザイナーのJohn Galliano (ジョン・ガリアーノ)が寄せた言葉です。 「彼はまるで人々がクリスマスツリーにデコレーションを吊すように、きらびやかなソーシャルシーンにグラマーさを混ぜ合わせました。 彼はそのデザイン、そして後にジュエリー商品で、これらの美を現実のものにして、全てを美しくしました」  

Duquette(デュケット)はブロードウェイのオリジナル製作版『Camelot(キャメロット)』で、トニー賞のベスト コスチューム部門を受賞し、パリのルーブル美術館で個展を開催する栄誉を得た最初にして唯一のアメリカ人でした。  

その1951年の展示には、彼の18Kゴールドのコレクションが含まれていました。 Duchess of Windsor(ウィンザー公爵夫人)が彼の作品を目にして、シトリンとペリドット、真珠のネックレスを製作するよう彼に委託しました。 Duquette(デュケット)は、つると花のある18Kゴールドのリースを作り、Wilkinson(ウィルキンソン)によれば彼女はしばしばそのネックレスを身につけていたとのことです。 当時はほとんどの女性がプラチナを身に着けていたにも関わらず、彼女が夜のイベントにゴールドの宝飾品を身に着けることによって、5時以降にゴールドを身に着けるトレンドを始めました。  

Bergdorf Goodman(バーグドルフ・グッドマン)は、Duquette(デュケット)とWilkinson(ウィルキンソン)の宝飾品作品について聞きつけ、専用のハイエンドな、独自のラインを創ってくれるよう彼らを招きました。 彼ら2人は、Duquette(デュケット)が85歳で亡くなるまで、それを続けました。 Wilkinson(ウィルキンソン)は彼らの好きなマラカイト、真珠、エメラルドやサンゴなどの素材を用いて、「トニー・デュケット コレクション」向けの作品を創り続けました。   Wilkinson(ウィルキンソン)は、大胆、演劇的、贅沢、ビザンチン、そして時には野蛮であると、これらの宝飾品デザインを説明しています。  

「素晴らしくなければ、無意味だ」と、Wilkinson(ウィルキンソン)は言います。 

トロピカルナイトパーティーでのDuquetteとWilkinson  
Tony Duquette(トニー・デュケット)とHutton Wilkinson(ハットン・ウィルキンソン)、ウィルキンソンの熱帯夜パーティーにて、
ロサンゼルス、1980年頃。 写真提供:Hutton Wilkinson(ハットン・ウィルキンソン)。