機器による宝石鑑別プロセスの改革
2月 4, 2013
シプリー・ジュニアは 宝石内部を調査中に、ダークフィールドイルミネーションの利点を発見しました。 彼はこのアイデアと低電力立体倍率を組み合わせて初代ダイヤモンドスコープを製作し、1938年には特許を取得しました。 ポラロイド社のEdwin Land(エドウィン・ランド)氏の仕事に触発され、またフランスのツールおよび鋳型製造を行うRaoul Francouer(ラウル・フランコワー)の助けを借りて、彼は初代の宝石偏光器を開発しました。 また長年にわたり、屈折計、ダイヤモンド測色計、Diamolite(後に再設計されてDiamondLiteと改名)、Pearloscope、ユニバーサルモーションイマージョンステージ、およびMark III GemoLite顕微鏡の変更および完成に貢献しました。
シプリー・ジュニアの仕事は、彼の後を追う他の宝石学者に影響を与えました。 宝石鑑別の難しさが移り変わる中、Lester Benson(レスター・ベンソン)、Kenneth Moore(ケネス・ムーア)およびGale Johnson(ゲイル・ジョンソン)は長年にわたって業界のニーズを満たす努力を重ねました。
シプリー・ジュニア同様、ベンソンは「異なる」視点から物事を見ました。 発明の発想が似ているこの二人ですが、その気質は全く異なっていました。 シプリー・ジュニアは、 全てにおいて「アクセルとブレーキ」でしたが、ベンソンは「穏やかでチャーミング」でした。
ベンソンの宝石学への貢献は、1948年のGIAへの入社後間もなく始まりました。そこで彼は、今日の宝石学者にとって必須である、スポット屈折率(RI)測定値を利用する方法を開発したのです。 この新技術を利用するため、彼は後に最初のGIA二重屈折計を設計しました。
彼の他の貢献も同様に非常に幅広いものでした。彼は、真珠検査用X線装置、宝石学顕微鏡用ベース、電気伝導度測定器、蛍光灯を複数スポットに当てる複数バッフル付き照明器具、そしてGIAの宝石商用カメラを設計しました。 宝石鑑別および顕微鏡写真法の専門家である彼はまた、研究室のX線回折装置を再設計し、宝石学研究用に分光光度計を応用しました。
ベンソンが1961年に39歳で突然他界した際に、Liddicoat(リディコート)は「宝石学は一人の指導者を失った。」と書いています。
シプリー・ジュニアは 第二次世界大戦後に自身の機器製造業会社を始めましたが、1950年代に宝石学用機器に対する関心を失い、事業から退きました。 ベンソン、ムーアおよびジョンソンがその後ビジネスを受け継ぎましたが、1966年にGIAが買収してGEM Instrumentsを設立しました。
同社は1960年代と70年代に着実に成長を続け、ProportionScope、Mark V GemoLite顕微鏡、オーバーヘッドライト、GIA照明偏光器、GIA二重屈折計、およびMiniLabを製作しました。 1980年には、カラーストーンの色評価における当て推量をなくすために設計された、革新的なColorMasterを発表しました。 この最新機器により、GIA設備における特殊電子機器の使用が確立されることになります。
この時期から1990年代にかけて、GIAは製品ラインを拡大し、そこには模擬ダイヤモンドを検出できる電子機器も含まれました。 この装置は他の企業によって製造されましたが、GIAの研究チームは機能を向上させるため、しばしば改作を提案しました。 GIAはまた、より高度なコンピュータベースの計測機器の開発を2000年初めに始めましたが、これは合成ダイヤモンドや模擬ダイヤモンドから天然ダイヤモンドを見分けるために設計されたものでした。
今日、GIAの機器部門は、研究と教育のニーズを世界中で満たすこと、また、自社製品が世界的な安全基準や規制を確実に満たすことに焦点を当てています。