地球の屋根からの
ダイヤモンド
10月 10, 2014

この鉱山のパートナーのLetseng Diamonds(レツェング・ダイヤモンズ社)の最高経営責任者(CEO)Mazvi Maharasoa氏にとって、このダイヤモンドとその他に450ctを超えるダイヤモンドが3個発見されていることは、国家の誇りであり、約束された未来(=プロミス)が実現したことを意味します。
「世界平均は1ctあたり106ドルに対し、ここでは1ctあたり2043ドルという世界でも最高平均価格を誇るダイヤモンドを生産する、ユニークな鉱山です。」と彼女は言います。 「一部の人々にとって地図上の一点に過ぎなかったレソトが、ダイヤモンド産地と認められるようになったのです。」
この鉱山はまた、垂涎の的であるIIa型ダイヤモンドの世界最大の産地の一つです。 IIa型の石は世界で採掘されるダイヤモンドの約2%程しかない一方で、レツェングで産出したダイヤモンドの約4分の1がこの型です。
険しい山の国の約3100メートル(10,000フィートあまり)に位置する鉱山を巡りながら、Maharasoa氏曰く、「この鉱山は2000年、突然現れたのです。 それが現在、1500人の従業員を雇用し、国家の法人税収入の70%、外貨収入の60%をこの鉱山からの収入で占めています。」
Maharasoa氏はレソトの首都Maseru(マセル)で生まれ、ロンドンの北部にあるUniversity of Buckinghamshire(バッキンガム大学)で国際商事法の学位を取得しました。 彼女は鉱物資源省の法律顧問としてレソトに戻りました。
「この時にダイヤモンド地域について知りました。」ダイヤモンドに関する法律の改定交渉や Letseng(レツェング)の採掘再開契約交渉が彼女の仕事の一部でした。

Letseng Diamonds(レツェング・ダイヤモンズ社)の最高経営責任者(CEO)のMazvi Maharasoa氏。 写真:Russell Shor/ GIA
この鉱山で採鉱を再開することは試練でした。 キンバーライトは1957年、南アフリカの地質学者Peter NixonによってMaluti (マルチ)山地の奥地で発見されました。そこには農村や羊飼いの小屋があり、まるで千年の間時間が止まってしまったような場所でした。 その翌年、南アフリカ人2人の探鉱者、Keith Whitlock と Jack Scottはダイヤモンドの探索に出発しました。 そして、猛吹雪の中、極寒に耐えながら約1,800ctのダイヤモンドを持って帰ってきたのです。数年の間、政府は採掘職人が採掘許可を得て作業を行うことを許可していましたが、1968年にその地域の探査に鉱業大手のRTZ(現在のRio Tinto(リオ·ティント))を招致しました。 同社は4年間、鉱山の開発を行いましたが、鉱山の収益性を考えると、
鉱石のグレード(100トンあたり2カラット以下)は低すぎると判断されました。
RTZが撤退した後、政府は当時デビアスの会長であったハリー・オッペンハイマー氏を視察に招待しました。 その結果、デビアスは、世界のダイヤモンド業界が深刻な危機に陥り1982年に廃鉱になるまでのほぼ10年間、最もキンバーライトが埋蔵する地域に絞った採鉱を操業しました。
しかし、この場所はほぼ20年間放置されたのです。 数社が採掘に挑戦しましたが、利益を上げるだけの成果はありませんでした。 Maseru(マセル)の政治情勢が不安定となり、特に1998年に起こった暴動で、首都の大部分と周辺の町の多くを破壊されたことも足を引っ張りました。
翌年に情勢が安定すると、派閥が統一政府を結成し、国庫資金の調達のためにレツェング鉱山を再開することを決定しました。 国は、Letseng Diamond Company(レツェング・ダイヤモンド・カンパニー)を設立し、南アフリカの金鉱山採掘会社が数年保有していた採掘権を譲り受けましたが、 年間40,000カラット未満の小規模生産を再開するために5年を要しました。
2004年までに、Maharasoa氏は、Gem Diamonds(ジェム・ダイヤモンズ社)が鉱山の権益の70%を取得する取引をめぐり政府と連携していたCentral Bank of Lesotho(レソト中央銀行)の重役になっていました。 「鉱山の(キンバーライト)パイプが適切に調査されていなかったので、やるべきことが多くありました。」と彼女は言います。 「今もなお、多くの作業が残っています。」
2006年にGem Diamonds(ジェム・ダイヤモンズ社)が採鉱作業を再開した直後にあのLesotho Promise(レソト・プロミス)が発見されました。 そのダイヤモンドは、ロンドンに拠点を置く宝石商ローレンス・グラフ氏が株式の過半数を所有する南アフリカの研磨会社のSafdico(サフディコ)社に1240万ドル(1,488万円)で売却されました。
グラフのカット職人たちは、Lesotho Promise(レソト・プロミス)のカットに1年を費やしました。 グラフが作成したこのダイヤモンドのカットの様子を収めたビデオによると、本来はDカラーであるこの石には黒色インクルージョンが点在しており、カットの予測図は戦闘地図のように見えたと伝えています。
この石から、DカラーでフローレスとGIAでグレードされた26個のダイヤモンドが切り出されました。最大は76.41ctのペアシェイプで、徐々に小さいものとなり最小は0.55ctのラウンドブリリアント石です。 グラフでは、レソト・プロミスが起源であることの証としてそれぞれにシリアル番号を刻印しました。 全26個のダイヤモンドで総重量223ctのネックレスをデザインしました。

Lesotho Promise(レソト・プロミス)ダイヤモンドのレプリカ。 写真:Russell Shor/ GIA
2009年にMaharasoa氏がLetseng(レツェング)のCEOに就任するまでは、同社はグラフとSafdico(サフディコ)が1,000万ドル(およそ12億円)で購入した2007年の493ctのLetseng Legacy(レツェング・レガシー)と、2008年に478ctのLight of Letseng(ライト・オブ・レツェング)を産出し、後者からは2009年に102.79ctのGraff Constellation(グラフ星雲)が作成されました。GIAはGraff Constellation(グラフ星雲)のグレーディングを行い、これは過去最大のDカラー・フローレスのラウンドブリリアントダイヤモンドであるとGraffは報告しています。彼女の就任後間もなく、同社は196ctと184ctの2個のカラーレスダイヤモンドを発見したと発表しました。 2014年9月に、同社は198ct、Dカラー・フローレスの可能性があるダイヤモンドをアントワープで1,060万ドル(およそ12億円)で売却しました。 これらの発見で、Letseng(レツェング)は高品質の大きなダイヤモンドの供給鉱山としての世界的な評判を確立したのです。
採鉱作業は依然として厳しいとMaharasoa氏は言います。
「ここは現在もダイヤモンドを産出している世界で最も標高が高いダイヤモンド鉱山で、天気の変動が大きく、冬は-25°Cまで下がります。」と彼女は言います。 「鉱山へのアクセスのためだけでなく、Mokhotlong(モホトロング)の町と北部を結ぶため、道路の一部を維持する必要があります。」
食料、燃料や装置を鉱山に供給することは、簡単な物流の問題ではありません。
「毎月150万リットルの燃料を使用しており、すべてをトラックで運搬しなければなりません。」とMaharasoa氏は言います。 「山の採掘場まで50トンのキャタピラーの採鉱トラックを引き上げるのにも多大の労力を要します。」
困難な作業の中、Gem Diamonds(ジェム・ダイヤモンズ)は、5年間で鉱山生産を倍の約100,000ctに伸ばしました。
「Letseng(レツェング)の産出はこれからも続くでしょう。」とMaharasoa氏は言います。 「現在、国のGDPの約7.5%を占めるレソト産ダイヤモンドを、数年以内に15%にする目標が掲げられました。」

筆者について
Russell Shorはカリフォルニア州カールスバッドにあるGIAのシニア業界アナリスト、Robert Weldonは写真・ビジュアルコミュニケーションズのマネージャーです。