クイーンズランド州のオパールフィールド:独特なオーストラリアのボルダーオパールの産地
1月 24, 2017

はじめに
ライティングリッジがブラックオパールの産地であるように、クイーンズランド州のオパールフィールドからはボルダーオパールが産出され、それは業界や消費者にも広く知られるようになりました。 ボルダーオパールは際立つ遊色効果が特徴ですが、それはただの見せかけではなく、収集家や消費者は派手なパターンや、抽象的なイメージ、ユニークな母岩との構造関係を評価しています。 2015年6月には、GIAチームがクイーンズランド州西部にある3つのボルダーオパールフィールドを訪問し、この特別な宝石に関して業界の異なる視点から見た情報を広範囲にわたり記録しました。
初期のオパール産業
売り物になる貴重なオパールが、最初、リストーウェル・ダウンズ拠点の近くの鉱山で採れたのは、1870年頃のことでした。 トゥーンバからの宝石商であるHerbert Bondは、クイーンズランド州における初期のオパール産業の発展に重要な役割を果たしました。 1875年までには、クイーンズランド州南西部にあるキャブラ・ヒルズにいくつかの鉱脈が発見され、Bond氏はそれに注目したのです。 フィールドから宝物を発掘しても、その石を売る市場がないことから、1879年に、Bond氏は鉱山の所有者を集め、石をロンドンに売りに行く前ぶオパール組合を組織しました。 ロンドンでBond氏は2500ポンドで会社を上場しました。 市場を確立しようとする最初の試みは失敗しましたが、ビクトリア女王が彼の努力に気づいたのです。 女王はオパールの大ファンで、有名なアラジン鉱山の40エーカーの自由土地保有権を助成しました。当時のクイーンズランド州のそのエリアでは唯一の鉱山でした。

干ばつや売り物になる生産がないため、もう採鉱はされていません。 GIAチーム
は採掘が活発に行われているコロイト、ヤワ、クイルピーの3か所を訪れ、大勢のオパール鉱夫に会いました。
オパールが、ロンドン宝石の購買者の心を掴むまでに、更に10年を要しました。 1890年代までには、アデレードの宝石ディーラー、Tullie Wollastonの努力によって、オパールの人気が高まり、ダイヤモンドの販売が減少したほどでした。 オパールの人気は最終的に競合者を動揺させ、オパールが不運をもたらすなどという記事が出回り、そのような否定的な報道のせいで、オパールのロンドンでの市場が失われてしまったのでした。 このような非道な操作の結果が、今日でもイングランドのオパール市場に影響を与えています。
ボルダーオパールフィールド
クイーンズランド州中部には、十数か所以上のオパールフィールドがあります。 この州の広範囲がオパールを含む白亜紀後期の砂漠の砂岩層に覆われており、探査と採鉱の可能性のある土地が30万km2以上広がっています。 クイーンズランド州ではまた、新生代時代の胞状玄武岩からオパールを生産していますが、堆積岩からとれるボルダーオパールのように商業的価値のある鉱床はまったくありません。 著者らは、コロイト、ヤワ、クイルピーの3か所のオパールフィールドを訪問しました。 フィールドには多くの共通点がありますが、それぞれに独自の特徴があります。
コロイト
コロイトはカナマラ鉱物地区にあり、エウロから約77キロ北北東に位置しています。 平均幅16kmの砂漠の砂岩層が、少なくとも南北129kmにのびています。 Tilbaroo Stationのマネージャーが組合を作った1897年に、オパールは初めてコロイトで発見されました。 この発見により、コロイト・フィールドで小さなオパールラッシュが起こりました。

コロイトフィールドの最近の開発は1970年代に行われています。 今日コロイトは、オーストラリアでも最高のオパールの生産地の一つです。 著者らは、Mark Moore氏と彼のビジネスパートナーが所有し、運営する鉱山を訪れました。 Moore氏はパートタイムでボルダーオパールの採鉱者として働き、パートタイムでサーフィンのコーチもしています ここの作業は、露天掘りと地下採鉱の両方が行われています。 露天掘りは、この地域の地層の完全な断面を見せています。 異なるサイズの鉄鉱石の団塊が、柔らかい砂岩層に含まれています。 オパールを露出するためには、これらの団塊を切ったり、割ったりする必要があります。 オパールはまた、継ぎ目のような線状構造に沿って見つかります。

地下作業は小規模です。 Moore氏は、我々がライティングリッジで見た掘削機と同じタイプのものを使用しています。 非常に明確な断層線が、地下鉱山では見ることができます。 Moore氏は、断層のような構造を追って、オパール見つけるのです。 ここで彼は、GIAのレファレンス・コレクションのために、ボルダーオパールのサンプルをいくつか集めてくれました。

コロイトのボルダーオパールには、輝く遊色効果があります。 著者らは、長年の間にMarkが集めた目を見張るようなサンプルを見て楽しみ、記録しました。 採鉱に加えて、Markは現場でとれた最高の石をカットしたり磨いたりもします。 オパールのポリッシングのためのワークショップが、彼の家の隣で行われます。
ヤワ
コロイトより南西に約10キロ行くと、ヤワの町があります。 ヤワの最初のオパール採鉱場リースは、1884年に登録されました。 1902年には、ヤワの人口は100人に達しました サザンクロス鉱山とグレートエクステンド鉱山は、ヤワの歴史でも、最も有名な2つの名前です。 今日でも、町はオパールを中心に活動しており、フィールドのあちこちで露天掘りと地下採鉱が行われています。 オパール観光は、町の主要産業です。 オパールツアー、店、鉱物探しが最も目を引く観光スポットです。

ヤワでは、オパールは、主に珪質鉄鉱石の団塊の中にありますが、他の形で起こることもあり、鉄鉱石や砂岩から取れることもあります。 鉄鉱石の団塊は、砂漠の砂岩層のピンクがかった柔らかい下層内で発見されています。 複数の団塊を含む単層が、砂岩層から見つかることもあります。 著者らは、オパール鉱床を探索するために鉱山の所有者が使用していた占い棒にも驚かされました。 ブルドーザーは鉱床を割って開き、素材を運ぶために使われます。 異なるスケールの攪拌機は、素材を攪拌するために使われます。 団塊は、中のオパールが見えるように、のこぎりなどで切断されたりカットされます。

このフィールドから出るオパールの最も特徴的なボルダーオパールは、「ヤワナッツ」と呼ばれ、ピーナッツからレモンくらいの大きさで、貴重なオパールは団塊の中心に形成されています。 この体積と輝きを持つこのタイプのボルダーオパールには、驚かされます。 著者らは幸運にも、2日前に、ホストの鉱山から巨大なボルダーオパールが採鉱される場面を見ることができました。 このオパールは明るく青みがかった遊色効果がありました。 この原石をどうする予定かを尋ねたところ、所有者は、美術館に寄付したいと言いました。
クイルピー
クイルピーはボルダーオパールの採鉱と取引で有名なもうひとつの町です。 1885年にブルクリークという、現在の町より北に位置する所でオパールが最初に発見されました。 採鉱部門が町の中心部に事務所を構えており、訪問者は鉱物探しの許可を得ることができます。 オパール宝石商のMark Anthony Hodges氏は、中央通りにある彼のオパール店に私たちを招いてくれました。 彼は、クイルピーで採鉱された石に地元で仕上げがなされた、見事なボルダーオパールの宝石を見せてくれました。 裏庭には、処理を待っているボルダーオパールの原石がたくさんありました。



クイルピーを後にし、我々は、北に約65キロにいったアラリックに向かい、そこではEric Stelzer氏と彼の家族が大規模な露天掘りオパール鉱山を運営していました。 露天掘りは、この地域の地層の見事な断面を見せてくれます。

砂漠の砂岩層の中でも、上から下まで見ると、2つの部分に分かれているのが見えます。 オパール含有の柔らかい砂岩と粘土が、4.5〜15メートルの厚さの非常に硬い赤みがかった珪質岩の下にあります。 上に被さる硬い岩が、その下の岩を保護しているのです。 非常に激しい風化作用と浸食速度により、大半の砂漠の砂岩層が取り除かれました。 残された部分は、現在様々な形で表れており、低い山岳、台地、頂上が平らな丘などが、頻繁に目に入ります。 ここの地形は、北米でも有名な盆地と山岳地帯に非常に似ています。

珪質鉄鉱石の団塊から採れたオパールは、直径数センチから数メートルに及ぶこともあり、樹木などの植物の化石の継ぎ目や、それがあったところに代わりに発生します。 ほとんどの石は、この家族によって現場で処理、研磨されます。 Stelzer氏によると、オパールは柔らかい砂岩層から主に採鉱されていますが、数年前に、露天掘りの隣にある崩積土でも採掘を行ったそうです。 オパールは比較的、硬度が低いので、 二次鉱床が発生するのは極めて稀です。 侵食が速い速度で近年に起こった場合は、その鉱床の近くで少量の石が見つかることがあります。 著者らは、切断して採鉱されている台地の丘の斜面が地すべりを起こしているのを見ました。
ボルダーオパールの美しさ
クイーンズランド州のオパール鉱山は、あらゆる異なる種類の、最も見事なオパールを生産します。 生産されるものの大半がボルダーオパールで、最も特徴的なものです。 オパールの部分は、他のオパールフィールドで見られるものと本質的には同じですが、ボルダーの部分は、通常、鉄鉱石および/または砂岩です。 多くの場合、貴重なオパールは母岩の亀裂に広がっているか、岩の表面に薄い層を成して付着しているかで、岩からそれを分離することが可能であっても、あまり実用的ではありません。 採鉱者は、母岩にそれを残して、一つの作品として一緒に磨くのです。
こうすることによって、採鉱者は完成品の耐久性を保ちながら、最高の遊色効果やパターンを見せることができるのです。 オパールの薄い層は、驚くものではありませんが、背景にある母岩の暗い色のおかげで遊色効果が一層増します。 母岩の形や構造は、完成品をいっそうおもしろいものにします。
宝石に取り付けられるだけでなく、ボルダーオパールを、想像を超えるような方法で見せることもできます。 ヤワで著者は、光栄にも、ボルダーオパールの収集家であり真の芸術家でもある、Eddie Maguire氏に会うことができました。 Maguire氏は、寛大にも彼の収集を見せてくれ、知識、経験、およびオパールへの理解を分かち合ってくれました。 彼のコレクションにあるそれぞれの作品は、異なる方法でカットされたり研磨されたものです。 著者らは、そのように展示されていたボルダーオパールを見たことがありませんでした。 Maguire氏は石を支えるために、木彫りも作っており、著者らはヒスイの彫刻を見せるときにも使われる、似たような木の支えのことを思い出しました。
終わりに
Stelzer一家のオパール鉱山で過ごした最後の日は、美しい日の出で始まり、その後、グループの全員は超軽量飛行機に乗りました。 そして次のように、オーストラリアのオパールフィールドへの訪問が幕を閉じました。 オパールフィールドの上空を飛行しながら、この魔法の宝石と出会った人々のことを思い浮かべていました。 オパールの専門家であるLen Cram氏が言うように、我々全員が「オパールの虫」に刺されて、オパールに夢中になってしまったのです。