リバイバルジュエリーのスタイルの新しい生命:考古学、ルネサンス、エジプト
3月 15, 2019
リバイバルジュエリーは、古代のモチーフを模倣または再現することによって、過去からインスピレーションを引き寄せる長年の伝統を表現しています。そのようなジュエリーを着用することで、私たちは文明の始まりの豊かな歴史につながりを持つことができます。
考古学風リバイバル
考古学風リバイバルは、79年にヴェスヴィオ山が噴火した後、埋没されていた遺物が1738年にヘルクラネウムそして1748年にポンペイで発見されたことがきっかけで注目が集まりました。その一世紀後、無計画に発掘する際の技術が幾分改善し、エトルリアの埋葬地が発見されたことでリバイバルジュエリーに再び関心が寄せられるようになりました。
1836年、Regolini-Galassiの墳墓が開けられた後、宝石商のFortunato PioとAlessandro Castellaniは、古代からの金の宝飾品を研究するよう教皇より依頼を受けました。また、1840年から1850年の間には非常に数多くの骨董品のコレクションに関する調査も要請され、Castellani家はエトルリア芸術のグラニュレーション(粒金細工)、フィリグリーや他の金細工を研究する機会が与えられました。研究の結果、彫刻、打ち出し、カットの代わりに、飾り付けを金属にロウ付けして古代の人々はデザインを制作していたという謎が徐々に明らかとなりました。
文学、彫刻、金細工に興味を持っていたイタリア人の学者、Michelangelo Caetaniは、古代風の宝飾品に注力するよう彼らを奨励し、古代の宝飾品のうち最高傑作の模型を提供しました。Castellaniと密接に作業をするようになり、Caetaniは彼らのデザインに重要な影響を及ぼすようになりました。また、Castellaniはデザインにエジプトのスカラベも取り入れるようになりました。
ルネッサンス・リバイバル
19世紀のジュエリーは、良い状態で保存されたルネッサンスの作品やジュエリーデザインの書籍に保存されたものなど、様々な要素からインスピレーションを受けました。中央にカラーストーンや真珠があしらわれており、その周りに小さな宝石が散りばめられているジュエリーが、ルネッサンス・リバイバルを象徴するペンダント、ブローチ、イヤリングの特徴でした。様々なエナメル処理の技術が、カラフルなアクセントとしてよく使われました。
ルネサンスをテーマにした舞踏会が19世紀に人気を集め、これらの豪華な行事で着用された年代物の衣装やジュエリーを再現するために多大な労力が費やされました。
テューダー朝の時代(1485-1603年)のドイツ人の画家、Hans Holbein the Youngerは、初期のルネッサンス・リバイバルジュエリーに影響を与えました。彼は、テューダー朝の王族と流行のファッションを生み出した上流階級を絵画で描写しました。かつてロンドンで見られた彼の絵画は、19世紀に上流階級の社交ダンスのファッションに影響を与え、このため英国のルネッサンス・リバイバルのジュエリーにインスピレーションを与えました。
Carlo Guilianoは、1840年代から1890年代にかけて独自のルネッサンス・リバイバル風の作品で西欧にて有名になりました。彼は、ルビー、エメラルド、サファイアを特徴とし、シャンルヴェ、バスタイユ、ロンドボスの技術をデザインに使った作品を裕福な常連客のために制作しました。Giulianoや他のリバイバルジュエリーの宝石商は、ヘレニズム時代の金細工師が使用していた技術である型押しなどの古代の技術やツールを彼らの作品によく用いました。
ルネッサンス・リバイバルのジュエリーは、グロテスクなスタイルを再びデザインに取り入れるようになりました。グロテスクとは、イタリア語のグロッテスキ(grotteschi)という言葉に由来しており、1500年頃にローマで発掘された洞窟(グロッタ)の装飾、特に65~68年に建てられたローマ皇帝ネロの黄金宮殿のことを指します。「グロテスク」という言葉は、動物、人間、植物を共に使用した奇妙な文様のことを指し、美しいとは思わないという方も中にはいます。
動物の頭部や他のモチーフが象徴的な意味を持つことがありますが、グロテスクは、通常、単なる装飾文様です。
最も有名なフランスのルネッサンス・リバイバルの宝石商は、Lucien Falize、Alphonse Fouquet、Louis Wièseであり、Boucheron(ブシュロン)、Chaumet(ショーメ)、Vever(ヴェヴェール)などの3大宝石店もこのスタイルのリバイバルジュエリーで有名でした。
エジプシャン・リバイバル
エジプシャン・リバイバルジュエリーは、19世紀末から20世紀初頭にかけて黄金時代に入りました。1869年のスエズ運河の完成とともに地中海と紅海がつながり、旅行する機会やエジプトの文化に対する興味が急増しました。エジプトのファラオ、ツタンカーメンの墓が1922年に発掘され、地中海南部の古代の宝物が発見され、目撃した人々の間で畏敬の念を引き起こしました。これらの歴史的な出来事が起きたため、エジプシャン・リバイバルジュエリーが出現しました。
エジプト人は植物や動物が神聖であると信じていたため、スカラベのコガネムシや蓮の花がエジプトのジュエリーのデザインでモチーフとしてよく現れます。エジプトの文化によると、スカラベのコガネムシは復活のシンボルであり、羽根のあるスカラベは誕生を意味するものでした。また、猫やその他の動物は神々として崇められていました。上エジプトを象徴する蓮は、いくつかの創造の神話に現れる神を表しています。
エジプトの遺物や芸術で見られる様々な色も象徴的でした。赤は砂漠を表し、緑はナイル渓谷の肥沃な土地を連想させ、青は空と水を象徴し、黄色は太陽を意味しました。ファラオとスフィンクスのモチーフは、エジプトのシンボルとして簡単に認識することができます。
考古学、ルネサンス、エジプトのリバイバルというテーマに対する芸術的な関心が、今日のジュエリーで生き続けるのは不思議ではないでしょう。
Sharon Bohannonは、写真の研究とカタログ化、そして記録を行うメディア編集者であり、GIAよりGGおよびAJPを取得しました。Richard T. Liddicoat 宝石学図書館情報センターに勤務しています。