フィールドレポート

アメリカの淡水真珠の魅力: Latendresse 家族を再訪する


1987年、E.J.Gübelin博士がテネシー州カムデンのJohn Latendresseとその真珠養殖場を訪れました。 翌年、アメリカの淡水真珠産業の発展を実際に目で見て記録するために、GIA教育部はLatendresse家にチームを派遣しました。 そこで得られた貴重な情報や写真は、後にGIAの真珠教育コースの一部となったほか、当機関と業界全体にとっての優良な資料にもなりました。 2016年6月、GIAのチームは再びLatendresse家を訪問しました。 この訪問と真珠産業に関する最新情報については、"Freshwater Pearling in Tennessee"(テネシーの淡水真珠採集)の記事をご覧ください。この時、チームはテネシー川の淡水母貝を採集したほか、Latendresse家の人々にインタビューを行い、そしてそれを機にアメリカの淡水真珠産業の調査を行っています。 また、一家が保有する膨大で見事な真珠のコレクションを見ることもできました。

真珠を置いたテーブルと3人の女性
一家の肖像画。(左から)Gina Latendresse、Chessy LatendresseそしてGinaの娘、Sabrina。 Latendresse家の3世代が力を合わせ、アメリカの真珠という遺産を守ろうとしている。 写真:Tao Hsu/GIA

LATENDRESSE一家

ちょうどミキモトが日本の養殖真珠と密接に関係しているように、Latendresseは現代のアメリカ真珠産業と深く関わっています。 最初に真珠の業界に足を踏み入れたのは、John Latendresseでした。 アメリカの養殖真珠の父と呼ばれており、またと宝石と宝飾品業界では「真珠のピカソ」とも呼ばれています。

E.J.Gübelin博士、John Latendresseと一家の写真
1987年、E.J.Gübelin博士がテネシー州カムデンのJohn Latendresse家を訪ねてきた。 この写真は、技術者が母貝にビーズを挿入しているところで撮影された。(左から)Chessy、Gübelin博士、JohnとJake Laten

John Latendresseは1925年、サウスダコタ州で生まれ、13才には家を出ました。 そして最終的には、アメリカの真珠産業において非常に情熱的で影響力のある独学指導者そして教育者になるのです。 1949年にテネシー州に移動しますが、ここは多くのダイバーが採取した真珠をバイヤーに持ち込むところです。 その当時は、アメリカの水系の真珠はすべて天然でした。より収益性の高い、貝殻ビジネスの副産物でしかありませんでした。 彼は、そういったダイバーの収穫物を買い取り、天然真珠のコレクションを増やしてゆきました。ダイバーは、さまざまな場所から来ていました。テネシー、ミシシッピ、アラバマ、カンザス、アイオワ、ルイジアナ、ケンタッキー、アーカンソー、テキサス、ミズーリ、イリノイ、インディアナ、ミネソタ、オハイオ、そしてウィスコンシンなどです。

テネシーの真珠採取、第1部
Gina Latendresseが、テネシーの真珠採取の歴史とLatendresse家について詳しく説明します。
テネシーの真珠採取、第2部
Gina Latendresseが、テネシーの真珠採取の歴史とLatendresse家について詳しく説明します。
テネシーの真珠採取、第3部
Gina Latendresseが、テネシーの真珠採取の歴史とLatendresse家について詳しく説明します。

彼は、豊かな真珠採取の歴史がある、テネシー州の西、ケンタッキー湖の横にある小さな町カムデンに定住しました。 ケンタッキー湖は、1938年~1944年のケンタッキー・ダムの建設後にできた湖です。 水没した場所はかつて農地であったため、淡水産貝の成長を支えるのに十分以上のプランクトンがいます。 第二次世界大戦後の日本からの淡水産貝の貝殻の需要が増加していた頃だったため、Johnは1954年Tennessee Shell Company, Inc. (TSC、テネシー・シェル・カンパニー) を設立しました。 ビジネスは成功し、富を築きました。そして、真珠産業に関与する機会がもたらされたのです。

ビル
International Shell Inc. (インターナショナル・シェル社)のビルは、かつてJohn Latendresseが1954年に設立したTennessee Shell Company(テネシー・シェル・カンパニー)があったところだ。 写真:Tao Hsu/G

1990年代初頭の頃には、同社は日本に年間約5,000トンの貝殻を処理・出荷していました。これは、米国の輸出量の約45%に相当します。 貝殻は日本で加工され、養殖真珠の核として使われました。 Johnは淡水産貝を日本や中国に売り、そしてそこから養殖真珠を輸入していましたが、日本の同業者にアメリカでは高品質の真珠の養殖は無理だと言われ、意欲をかき立てられたのです。 アメリカ南部出身、冒険と好奇心が強いJohnは、その挑戦を受け、さまざまな困難を克服してゆきます。 そして生涯をかけて、アメリカの淡水養殖真珠を調査、実験、宣伝、そして推進してゆきました。

建物と設備
貝殻はこの施設で保存そして処理される。ここはかつて、Latendresse家が所有していた。 最近は、ここではあまり貝殻の処理は行われなくなった。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

Johnの妻Chessyは日本人の女性で、彼の真珠養殖の実験をずっと支えてきました。 Chessyの母親は認定宝石鑑定士であり、日本の真珠産業で働いていました。 Chessyは熟練の真珠の糸通し職人でしたが、日本にいるときは真珠の養殖に関してはあまり詳しくありませんでした。 その後、夫を手伝うために養殖の技術を学び、多数の資料を翻訳したほか、Latendresse真珠養殖場で主任技師になり、そして多くの地元の若者に技師になるための訓練を実施しました。 今でも、趣味と実益を兼ねて真珠の糸通しをしています。彼女によると、リラックスする最良の方法だそうです。

着物を着た男女の額入り写真
Chessy Latendresseは、真珠養殖場の主任技術者だった。 アメリカの母貝に応用させるため、日本に戻って真珠の養殖技術を学ぶことにした。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

愛情深い母親、祖母そして家族経営会社の共同設立者として、Chessyはアメリカの養殖真珠産業の全歴史の証人です。 GIAのグループにも、自分の経験と知識を情熱的に語ってくれました。 より多くの若い人たちに、真珠の養殖と糸通しの技能を教えてゆきたいそうです。

2人の女性。1人が母貝を持っている
Chessyが、母貝にビーズ核を挿入するための切り込みを入れる方法を見せてくれた。 写真:Tao Hsu/GIA

ChessyとJohnの3人の子供のうち、Gina LatendresseとRenee Latendresseは、積極的に家業に参加してきています。 Ginaがナッシュビルにある真珠ビジネス、American Pearl Company(アメリカン・パール・カンパニー)を仕切っています。 この会社は、1961年に彼女の父によって設立されたものです。 Johnが 2000年に亡くなった後は、一家は真珠の養殖ビジネスから撤退しました。 今、Ginaは会社の規模を縮小し、人も自分を含む4人にして、パールとパールジュエリーの販売に力を入れています。 同社は、小売業者やジュエリーデザイナーに裸石を供給しているほか、小売業者には独自の真珠宝飾品も提供しています。 売上の約8割は、一家の天然真珠コレクションによるものです。

古い本を手に取る女性
Latendresse家には、大きな真珠のコレクションに加えて、真珠に関する蔵書もたくさんある。ジョージ・クンツ著の、有名なThe Book of the Pearl(真珠の本)もそのうちの一つだ。 写真:Art

真珠業界の中で育ったGinaは、真珠についてたくさんの事、そして真珠への情熱を教えてくれた父親に感謝しています。 彼女は非常に活発な教育者でもあり、真珠に関するプレゼンテーションやアメリカの天然真珠を宣伝するために全国各地、そして世界中を旅してきました。 Latendresse一家は、いつでも宝石ラボにおける真珠研究を支持してきており、GIAも例外ではありません。 今回の私たちのこの素晴らしい調査旅行も、Latendresse一家、特にGinaの支援があってこそ実現したのです。

テーブルを囲む男性と4人の女性
GIAの真珠研究スタッフとGinaが、天然真珠鑑別の課題について意見交換をした。American Pearl Company(アメリカン・パール・カンパニー)の本社にて。 Ginaと彼女の父親はGIAの研究に対して非常

テネシーの淡水真珠の養殖

ここは、タヒチのような自然のままの澄んだ青い海に、半裸の女性が真珠を採りに潜ってゆくような、そんな場所ではありません。ここは、テネシーの泥の川です。 あまりロマンチックではないけど、でもその分興味深い場所です。
— John Latendresse

John Latendresseが1960年代初頭にあの日本人の友達の挑戦を受け入れたとき、彼自身それから20年間を探索と実験で費やすことになるとは思っていなかったでしょう。 天然真珠は、昔から先住アメリカ人によって北米のさまざまな水系で採取されていました。しかし、養殖の試みは今までありませんでした。

川岸の4人の男性
1987年、Gübelin博士がバードソング・クリークの真珠養殖場を訪れた。 写真:Edward J.Gübelin博士のコレクションより

まず重要な問題として、養殖場にふさわしい水域を見つける必要がありました。 淡水産貝は地球で最も古い生物のひとつです。しかし実は非常に環境に敏感です。 Johnは同僚と、全国300箇所以上の水域を調査して回りました。 温度、pHレベル、気候など、20以上の項目を調査しました。 そして驚いたことに、どの検査結果でも、自分が住んでいるカムデンの隣の貯水池が最も理想的な場所であるという結論になったのです。

小さい湖の風景
この湖で小規模な真珠の養殖実験を行ったが、真珠貝を支えられるだけの十分なプランクトンがなかった。 この後、養殖場はバードソング・クリークに移転した。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

実験は、カムデンのLatendressesの敷地内の湖などを含む、小さな水域で開始されました。 Ginaは、ここで行われた実験の説明をしてくれました。 プランクトンが不足しているため、淡水産貝は生存していけるだけの十分な栄養素を摂取できません。 またそれと同時に、淡水産貝のさまざまな種類を使って、組織と核の挿入に関する実験も行いました。 このときChessyは日本独特の技術をアメリカの母貝に応用し、その結果を研究するにあたり重要な役割を果たしました。 1966年に、挿核のプロセスを観察するため日本に戻りました。 その結果、アメリカの母貝における挿核の問題の多くは、日本種とアメリカ種の生物学的構成から来ていることに気付きました。 従って、アメリカの淡水産貝専用の技術を開発する必要がありました。

外套膜組織を切り取る女性
1987年にGübelin博士が訪問した際、養殖に使う外套膜組織を切り取る方法をChessyが説明して見せた。 写真:Edward J.Gübelin博士のコレクションより

1982年、ケンタッキー湖のバードソング・クリークの場所に真珠の養殖場を設立しました。 この場所は真珠養殖場の要件をすべて満たしていました。 Latendresses一家は、テネシーバレー局と湖のその部分を排他的に使用するためのリース契約を交渉しました。 そして20年の努力の結果、1983年に初めて商業用の真珠が収穫されました。 John Latendresseは遂に、日本や他の国で採れるような美しい真珠を養殖するという夢を実現したのです。 その後も、さまざまな形の真珠の養殖実験を続け、国内や世界の顧客に販売することに成功しました。

母貝の入った網を持ち上げる女性
真珠の養殖には、このような金属の網が一般的に使用されている。 網は、このように乾燥した母貝でも、かなり重くなる。 ひとつの網には、約1ダースの母貝が入る。 写真:Tao Hsu/GIA
ツール
ビーズ核を母貝の生殖腺に挿入するのに使用するツールのセット。 棒の先には、ビーズを持つための小さなカップ状のものがついている。 ビーズのサイズごとに、さまざまなホルダーがあ

1991年にC. Richard Fasslerが記述したように、「9エーカー(3.6ヘクタール)にわたり、それぞれ40フィート(12m)のPVCパイプが何百本も並行に並べられていました。 パイプは網を支えるためで、そして網にはそれぞれ1ダースまでの淡水産貝が入っていました。」網は、パイプからぶら下げられていました。網と網の間は、十分な余裕が設けられていました。 養殖場では、主にウォッシュボード貝(Megalonaias nervosa)を用いました。 私たちの今回のツアーのガイドであり、ダイバーでもあるDon Hubbsによると、テネシー野生生物資源庁 (TWRA) はLatendresse家に対し、3インチから3.5インチのウォッシュボード貝75,000個を毎年真珠養殖用に収穫することを許可しているということでした。 サイズも商業用の下限より小さいものを認可していることから、これは特別認可でした。 貝が小さいということは、まだ若いということです。そのため、分泌も早く、真珠母貝に適しています。 John Latendresseは、そういった真珠養殖の技術と経験をもとに、操業認可とライセンスを獲得したのです。

湖の真珠養殖場を眺める女性
30年前自分の父とGübelin博士がそうしたように、Ginaが養殖場を眺める。 PVCパイプで囲まれた部分は、バードソング・クリーク・リゾート(Birdsong Creek Resort)で保存されている小さな真珠養殖

1983年から2000年までの間、養殖場では淡水真珠を生産が行われました。 毎年、Johnは収穫の20%を一家のコレクションとして保存してきました。 現在でも真珠ビジネスを続けることができているのは、この在庫のおかげです。 Johnが2000年に亡くなった後は、養殖場は商業養殖の操業を終了しました。 養殖場は現在の所有者、Robert Keastに売却され、その後テネシー州で人気の観光スポットになっています。 養殖場の一角は維持され、訪問者に真珠の養殖を実演する場として使用されています。

独特なアメリカの養殖真珠

John Latendresseは、淡水産貝にさまざまな形のビーズを用い、ユニークなファンシーシェイプの真珠を作り出したため、養殖真珠のピカソと呼ばれてます。 Johnが用いた養殖技法は、日本と中国で使われていた技法との橋渡しをするものです。 真珠養殖のための淡水産貝をそのまま使ってビーズを自己調達していたため、原料は豊富にありました。

母貝からファンシーシェイプの養殖真珠を採取する
技術者が、ファンシーシェイプの養殖真珠をウォッシュボード母貝から採取している。 写真提供:Latendresse家

Johnは、色々なシェイプの中で最も簡単な、ブリスターパールの養殖も始めました。 一番難しいのは、完全に丸い真珠であることを認めています。 そこで、まったく新しい分野を開拓し始めました。母貝にさまざまな形のビーズを挿入してみたのです。しかし、色々な技術的な課題に直面しました。 ファンシーシェイプのビーズは、ラウンドまたはフラット ビーズと比べ、大体どこかに鋭い角や縁などがあります。 それにより、母貝が拒絶する確率や死亡率が増加します。 そこで、こうした形の真珠の養殖には特別な技能や注意が必要でした。

ピンクの養殖ブリスター パールのジュエリー
Doméパールは、養殖ブリスター パールのことだ。 このブリスター パールは、その周りの真珠母貝と一緒に切断された。 そしてそのまま、ジュエリーにセットしている。 写真提供:Latendresse

アメリカの養殖真珠の品種として、Doméパール(養殖のブリスター パール)やファンシーシェイプの養殖真珠などがあります。 ファンシー シェイプには、コインや長方形、三角形、カボション、マーキス、ティアドロップ、そしてナベットなどがあります。 ピンクのヒールスプリッター淡水産貝から採れる深いラベンダー色の養殖ブリスター パールには、素晴らしいものも見られます。 そうしたものの多くは形が非常にユニークであるため、真珠の鑑別にも使用することができるほどです。

ファンシーシェイプの養殖真珠とブリスター パールの組み合わせ
John Latendresse は、そのファンシーシェイプの養殖真珠で有名だ。 ファンシーシェイプで最も一般的に見られるのは、バー、コイン、そしてマーキスなどだ。 写真提供:Latendresse家

アメリカの養殖真珠は主にボディカラーが白や銀色で、オーバートーンは虹色がかかって上品なオリエントがみられるものが多いのが特徴です。 青色や金色のボディーカラーのものは、各収穫の2%未満でしかありません。 こういった珍しい色は、母貝の状態や水質などさまざまな要因に関係している可能性があります。

ピンクのヒールスプリッタ-からの養殖ブリスター パール
ピンクのヒールスプリッター(Heelsplitter)母貝で養殖されたこのピンクのブリスター パールは、豪華な色になっている。 写真:Tino Hammid/GIA、提供:Latendresse家

アメリカの養殖真珠の大きさは範囲が広く、1mmや2mmから30mmのものまであります。 コインの形をした真珠は大体、10〜15mmで、ナベット シェイプは10~30mmになっています。 品質をより効果的にコントロールするために、ブリスター パールは最低18ヵ月から2年養殖され、ファンシー シェイプのものは、3年~5年養殖されます。 3年間養殖すると、一般的には確実に2mmの真珠層が形成されます。

驚異のLATENDRESSE天然真珠コレクション

John Latendresseは真珠の養殖という自分の夢を達成させるために30年以上を費やしたわけですが、その間ずっとアメリカの川や湖から天然真珠を収集することも止めませんでした。 その結果、彼のアメリカ天然真珠のコレクションは世界最大になりました。 その中でもトップのものは、アメリカ自然史博物館に展示されていたこともあります。 世界中で天然真珠の資源が枯渇している今、この世界的なコレクションはさらに貴重なものになっています。 私たちは今回この天然真珠を見ることができ、非常に幸運でした。

真珠、貝殻と宝飾品が並ぶテーブル
Ginaが、Latendresse家の真珠コレクションから最高のものを集めたエレガントな展示を設けた。 白色のトレイの真珠は、アメリカの水系で採れた天然真珠だ。 その他のものは、天然の海水真珠

Ginaが、コレクションから代表的なアメリカの天然真珠を選んでくれました。 まずは、ダイバーから買い取ったという天然真珠の瓶を見せてくれました。 そのダイバーによると、それは自分のダイバー人生を通して集めてきたものだということです。 Ginaは、これは彼女の父や一家が天然真珠を仕入れる典型的な方法だと言っていました。

天然真珠コレクション
Ginaが、Latendresse天然真珠コレクションにあるさまざまな真珠の種類を紹介します。
博物馆珍藏
Latendresseコレクションの見事な真珠をすべて一度に見れることは、めったにありません。 これらの真珠は、米国各地の博物館でよく展示されています。

このコレクションで重要な品には、すべてそれぞれの物語があります。 Ginaは、父がコレクションから真珠を取り出し、それをどこで手に入れたか、その品の何が特別かを説明していたことを、今でもはっきりと覚えています。 Chessyは、この真珠は全部彼の子供たちで、そしてそれぞれの細部まですべて記憶していたと言っていました。 血は争えないもので、Ginaは父から真珠への愛と情熱、そして真珠のビジネスへの熱心さを引き継いでいます。 彼女は真珠に囲まれて育ちました。 真珠をを見て、触れて、そして選別してきたのです。

真珠を眺める2人の女性
Sabrinaが、祖母のChessyとコレクションを見ている。 写真:Tao Hsu/GIA

アメリカの天然真珠の中では、ラウンドとほぼラウンドは0.01%未満で、最も希少なタイプです。 私たちの目についたのは、25年間かけてテネシー川から採集されたラウンドパールのグラジュエイト ストランドでした。 このストランドは貴重かつユニークです。天然ラウンド真珠がいかに希少かを示す、とてもよい例と言えます。 これは、Gems & Gemology(宝石と宝石学)1984年秋号の表紙にも掲載されました。JohnとJames Sweaneyによるアメリカの真珠産業に関する記事が掲載された号です。 GinaもReneeも、自分たちの結婚式ではこのストランドを身につけました。

アメリカの天然真珠を特集したGems & Gemologyの表紙
Gems & Gemologyの1984年秋号では、Latendresse家の真珠コレクションの中から、ラウンドパールのグラジュエイト ストランドと天然真珠のリングが特集された。 このストランドはJohnが25年
陳列ケースに並んだ真珠29個
こういったラウンド、またはほぼラウンドの天然真珠は、非常にまれだ。 Ginaは、真珠のグレインの重量を示すときもこれを使用する。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

ラウンドとほぼラウンドの次に希少なのは、左右対称の天然真珠です。 半世紀以上かけて集められたコレクションでも、限られた量しかありません。 淡水産貝に天然の真珠を発見できる確率は、それがどんなものであれ、約10,000個に1つでしかありません。そのうち、さらにごく一部(5% 未満と推定されます)だけが、ボタンや梨、そしてバレルなど対称的な形になっています。

さまざまなサイズの天然真珠12個
このLatendresseコレクションの見事な天然真珠は、すべて対称形状になっている。 写真:Tino Hammid/GIA、提供:Latendresse家

ラウンドやほぼラウンド、そして左右対称以外は、アメリカの天然真珠はそのほとんどがバロック シェイブです。 バロック真珠はそれぞれすべて形が異なっていますが、外観に基づいて分類することができるものもあります。 そういったバロック シェイプのうち、一般的にみられるものとして「ウィング」、「ペタル(花びら)」、「ローズバッド(バラの蕾)」「タートルバック(亀の甲羅)」、「カタツムリ」などがあります。 どれも、その名前にピッタリの形状になっています。

天然真珠のトレイ
アメリカの海域で採れた天然真珠のトレイ。 大きいウイング・パールやカタツムリの形をした真珠、その他のバロック・パールがある。 最も一般的な色は白だ。 写真:Pedro Padua/ GIA

ウィング パールは、実際鳥の翼のように見えます。 ウィング パールのペアは、デザイナー ジュエリーにピッタリです。 パールのカタツムリも、興味深いカテゴリーです。 インディアナで発見されたカタツムリ型の天然真珠は、X線調査の結果、小さなカタツムリを核にしていることが明らかになりました(ナショナルジオグラフィックの記事、1985年)。 Latendresseコレクションには、見事なウィング パールとパールのカタツムリがあります。 コレクション最大のウィング パールは、長さが7cm以上あります。 パールのカタツムリで大きいものは上から89.93と80.43カラットで、それぞれ白とファンシー・ブロンズ・ラベンダー色になっています。

Wing pearls
典型的なアメリカのバロック天然パール

その他の大きいバロック シェイプの天然真珠は、そのあまりのユニークさのため、特定カテゴリーに分類することができません。 これは、ジュエリー デザイナーが市場で入手できる天然バロック パールとしては、最高品質のものになります。

A group of exotic-looking baroque pearls
エキゾチックなアメリカの天然真珠

このコレクションには、天然の海水真珠もあります。 Ginaは、二枚貝と巻き貝を、それぞれの天然真珠と組み合わせて展示をしてくれました。この中には、私たちが今まで見た中で最大の天然アワビ真珠もありました。 また、ペン シェルをはじめ、クアホッグ、メロメロ、とげのある貝、ホラ貝などもありました。 Ginaは、これだけの天然真珠や貝殻を収集するために、世界を旅してまわりました。品物によっては、休暇を利用して自分で採集したものもあります。

珍しい真珠の展示
Ginaの珍しい真珠コレクション。母貝の巻貝や二枚貝なども入っている。 これも、そのコレクションの一部だ。 写真:Tao Hsu/GIA
エキゾチックな天然真珠

今回見せてもらえたこの天然真珠だけでも私たちは驚いたのですが、Ginaによるとそれはまだ氷山の一角でしかなく、全部出せば文字通り部屋が埋まるほどあるということです。 彼女は、まだ選別されていない天然真珠がたくさん入った年代物の袋を見せてくれました。 袋は、何十年も前にChessyが自分で作ったものだそうです。 これで、このコレクションの規模がどれ程のものなのか、そしてどうしていまだにアメリカの天然真珠が市場に出回っているのかがわかりました。

選別されていない真珠の袋
このコレクションには、まだ選別されていないアメリカの天然真珠が袋単位でたくさんある。 写真:Tao Hsu/GIA

このユニークなアメリカの天然真珠と養殖真珠は、世界中のジュエリー デザイナーにとって最上の素材となっています。 そのエキゾチックな形や最高級の色と光沢は、あらゆるデザインに合います。 American Pearl Company(アメリカン・パール・カンパニー)では、まだアメリカの天然および養殖真珠を、ティファニーやミキモトなどの大規模な小売業者や、ジュエリー デザイナーなどに卸すことに焦点を当てています。 同社は、外国からも真珠を調達しますが、大半はまだ一家のコレクションの在庫を使っています。 Ginaも、パールのジュエリーやレザー ジュエリーのラインをデザイン・制作しています。

大きな真珠を使った、アヒルの形をしたブローチ
このデザイナージュエリーでは、テネシー川産の天然淡水真珠が使われている。 写真:Robert Weldon/GIA、提供:Karin Hurwit

Ginaにとっては、真珠の商売だけではなく、真珠の教育者という役割も重要です。 さまざまな業界団体や学校、そして関心があるグループなどを対象に講義を行っています。 彼女の父と同様、教育の力を信じています。 講義で使う展示用のコレクションも自分で作りました。これを彼女は、親しみを込めて「真珠のサーカス」と呼んでいます。 天然真珠と養殖真珠を切り開き、その内部の成長パターンを学生や消費者に見せます。 一般人を対象に教育をしていくことこそ、アメリカの真珠を普及させ、そして顧客を引き付ける最も良い方法であると彼女は思っています。

真珠の教育者

終わりに

Latendresse一家、特にGinaの協力のお陰で、私たちのテネシーへの真珠調査旅行は、とても豊富な情報と上質の研究用標本、そして貴重な思い出を得ることができました。 あらゆる宝石の中の女王である真珠は、純粋さや上品さ、魅力そして富を象徴するものです。しかしそれは、大変な努力と根気があって、やっと人々の手に渡るものなのです。

真珠を観察する3人の女性
Sabrina が、GIAの真珠識別チームのJoyceとEmikoとともに、真珠を観察している。 写真:Artitaya Homkrajae/GIA

John Latendresseが夢見たアメリカの真珠は、20年間の努力の結果実現しました。 Latendresse一家がアメリカ産の養殖真珠を最初に収穫してから、30年が経過しました。 この間、世界の真珠産業は劇的な変化を遂げました。 Latendresses一家は、まだその真珠の夢を守り続けています。そして、Johnが生涯かけて集めた真珠の遺産をさらに前進させようとしています。 普通のアメリカ人にとってこの真珠は、国産の宝石として誇りです。でもLatendresse一家にとっては、それ以上のもの、家族のようなものなのです。 私たちは真珠に対するこの一家の愛をとても強く感じました。このアメリカ産の真珠という遺産を、今後もずっと将来の世代に引き継いでいってほしいと思いました。

リングとイヤリング
このイヤリングはアメリカの養殖Domé真珠が使われており、そしてリングではアメリカの淡水天然真珠が14Kゴールドにセットされている。 写真:Tino Hammid/GIA、提供:Latendresse家

Tao Hsu博士は、GIAカールスバッドでGems & Gemology(宝石と宝石学) のテクニカル編集者を務めています。 Chunhui Zhou博士は、ニューヨークの真珠研究の科学者であり、また真珠鑑別部門のマネージャーでもあります。 Artitaya HomkrajaeはカールスバッドのGIAのジェモロジストです。 Joyce Wing Yan HoとEmiko Yazawaは両方とも、ニューヨークのGIAのジェモロジストです。 Pedro Padua は、カールスバッドのGIAでビデオプロデューサーを務めています。

免責事項

GIAスタッフはリサーチを目的に、鉱山、 製造業者、 小売業者の他、 宝石およびジュエリー産業に関わる場所や企業を頻繁に訪ね、市場の見識を深めるよう努めております。 GIAは、訪問中に私たちを受け入れ、貴重な情報を提供してくださった皆様に感謝いたします。 これらの訪問やそれに関連する記事または出版物を、推奨としてとらえたり使用したりすることはしないでください。

Gina Latendresse氏には、今回の出張で多大なご協力と現地での助力をいただきました。筆者一同より心よりお礼申し上げます。 また、テネシー野生生物資源庁のDon Hubbs のご指導とご支援にも感謝いたしております。

Fassler C. R.著、“The Return of the American Pearl.”(アメリカ真珠の復活)、Aquaculture Magazine(アクアカルチャー・マガジン)、(1991年)。