Patrick O'Sheaの興味深い人生:弾道学担当刑事からジェモロジスト ・ジュエリー デザイナーに転身
1月 10, 2020

Patrick O’Sheaの人生は、まさしくDan Brownの小説のようです。
O’Sheaは、New York City Police Department(ニューヨーク市警察)の弾道学担当刑事として19年間活躍し、1万件以上もの重犯罪や殺人事件の捜査に関わっていました。また、「自由」および「寛容」を基本理念とするフリーメイソンの長年のメンバーでした。歴史と難解なシンボルについて学ぶ学生でもあったO’Sheaは、シンボルの専門家と知り合い、彼から一見解決不可能とされる犯罪を解き明かすための知識を得ました。
その後、O'Sheaは、グラジュエイト ジェモロジスト®(Graduate Gemologist®)のディプロマを取得するという珍しい人生の旅路を歩み、フリーメイソンの神聖なシンボルを表現するカスタムメイドのジュエリーをこの結社のためにデザインするというキャリアを築き上げました。
「私たちは言葉よりもはるかに雄弁な言語に囲まれた世界に住んでいます。私はこの文字の言語というサインやシンボルを使用して、私たちを取り巻く美しい謎を表現しています」とO'Sheaは彼のジュエリー デザインを伝える比喩表現について語りました。
ジュエリー デザイナーとしてのO’Sheaのキャリアについて説明する前に、これまでの経緯をご紹介しましょう。
ニューヨークのブロンクス出身のO’Sheaは、1980年代にサウス ブロンクスの危険な地域でニューヨーク市警察弾道学担当の刑事として20年近く活躍していました。勤務中は、数多くの殺人現場を次々と訪ね歩く多忙の日々を送っていました。同僚の刑事が犯罪現場で証拠に当惑すると、O’Sheaとニューヨーク市警察の刑事および比較宗教学、カルト、象徴学の教授であるMarcos Coronas博士は、入れ墨、描画、リング、本など、その犯罪の解明に役立つ可能性のある手がかりを探して調査しました。
「Coronasはよく『それは何でもない。単なる魔除けのシンボルだ』と言ったり、『これは復讐殺人だという明確なメッセージだ』とか『こいつらは本当に悪いことをしようと企んでいる』などと言うことがありました」とO’Sheaは説明します。

O’Sheaは、ニューヨーク市警察勤務中、最後の数年間を弾道による傷の専門家の証人として裁判所に出廷しました。退職後、彼はニューヨークの富豪のボディーガードになりました。
「2008年の大不況が起こったとき、私のすべてのクライアントが、ジュエリーを私に手渡して保管するように頼みました。自分の命を守ってくれる信頼できる人ならば、自分の貴重品も守ってくれるだろうと考えたのです」とO’Sheaは語ります。
宝石やジュエリーに対する興味はすでに持っていて、探偵として勤務していたとき副業としてシルバー ジュエリーを販売していました。そして、彼の新しい仕事がきっかけでGIAで学習することとなったのです。勉学に熱心に励んでいましたが、2015年に妻ががんと診断され、勉強を中断し彼女の世話をすることに専念しました。勉強に戻れるようになったときには指定修了期間が過ぎていたため、最初からやり直さなければなりませんでした。何回か試験を受けた後、カールスバッドのGIAでついに20石の試験に合格しました。
「カールスバッドのGIAで受けた授業には驚きました」とO’Sheaは語ります。知識豊富な講師の指導の下で宝石を扱い研究する機会があったおかげで、理論をスキルとして応用することができました。また、様々な照明環境で弾丸を観察する作業を含む弾道担当刑事としての職務も、宝石を鑑別するのに役に立った、とO’Sheaは述べます。
その後、宝石学のアドベンチャーが再び始まりましたが、宝飾業界に参入しようとする最初の試みは不成功に終わりました。
「私はアイルランド人のような風貌の警官で、私の存在を認めないような上品なハシド派の男性と話をしようとしていたのです。それからGIA同窓会に行きました」とO’Sheaは説明します。
年配の男性でユダヤ教指導者であるDavid Altman師が講演会を行っていました。刑事の予感から、O’SheaはAltman師がフリーメイソンであると判断しました。彼の直感は正しく、二人は友達になりました。Altmanの家族は何世代にもわたって宝石取引に携わっており、ダイヤモンド地区でビジネスを行っている関係者にO’Sheaを紹介してくれました。
「突然、マンハッタンの47丁目でビジネスをすることができるようになったのです。」と彼は言います。
フリーメイソンのシンボルが刻印されたリングを着けてダイヤモンド地区を歩いていると、O’Sheaに幸運が再び舞い込んできました。同じくフリーメイソンのメンバーであるJilber Ezgiliogluが通りがかり、このリングに気が付き、2人は話し始めました。その後何回か会話を交わし、彼らはクリエイティブなパートナーとなりました。O’Sheaは宝石鑑別士、Ezgiliogluは、古代から伝わるジュエリー製造技術の熟練職人となりました。

O'Sheaは2014年にHappy Diamond Guy Masonic Rings(ハッピー ダイヤモンド ガイ メソニック リングズ)を設立し、ジュエリーを本格的にデザインし始めました。やがて大きなチャンスが到来します。スコティッシュ ライト メイソンリーの北部管轄区の主権大指揮官から、イングランドのフリーメイソンリー創立300周年祝賀会で妻が着用するペンダントを制作するよう依頼されたのです。彼は翼を広げた双頭の鷲をデザインし、このドラマチックな作品は注目の的となりました。
「この作品は人気を博し、その写真がソーシャルメディアに投稿されました。突然日本、ニュージーランド、カナダなど世界中のフリーメイソンから電話がかかってきて、作品を制作してくれないかと尋ねられたのです」とO’Sheaは説明します。
彼の成功したビジネスはこのようにして誕生しました。
O'Sheaには、フリーメイソンの仲間から特注のフリーメイソンリング、およびパートナーのためのブレスレットやイヤリングの制作依頼が頻繁に来ます。O'Sheaが制作する作品はすべて特注のものですが、彼とEzgiliogluは、あまり複雑でなく、より手頃な価格のフリーメイソン ジュエリーの商品を制作することを検討しています。
ビジネスの一環として、O’SheaとEzgilioglu(時にはAltmanも参加)はカラーストーンを大量に一括販売している宝飾店を訪問します。O’Sheaによれば、ダイヤモンド地区でさえも、ダイヤモンドを専門とする宝石商はカラーストーンについてはあまり知識が豊富ではないといいます。彼曰く「非常に参考になる」GIAの教育のおかげで、テーブルの上に置かれた何千カラット相当の宝石を選別し、低品質のものや類似石から自分が買い付けを希望する美しい石を取り分けることができるのです。
こうした専門性が評判を呼び、O'Sheaはダイヤモンド ディーラーからオフィスにある袋入りの大量のカラーストーンの評価を依頼されることが増えました。また、彼に店を訪れてもらい、出張先で出会った宝石の評価を依頼する宝石店主もいます。
自分の専門外の分野で援助が必要となった場合には、GIAの名刺で埋め尽くされた名刺ホルダーをめくって相談できる人を探します。
「GIAから学んだ多くのことの一つは、良い石やあまり良くない石から、非常に素晴らしい石を選別する方法でした。ぱっと見て分かるものではありません。せいぜい勘を働かせるくらいでしょう。このスキルを習得するには教育が必要で、GIAはその教育を受けるのに最適の場所なのです」とO'Sheaは語ります。

彼はフリーメイソンの信念および慈善活動に常に忠実です。現在居住しているニュージャージー州のフリーメイソンは、失読症患者を支援しており、無料の学校および学校教師のために無料のトレーニングプログラムを提供しています。O’Sheaの支部は、この慈善活動にさらに力を入れ、多額の募金を集めるのに成功し、子供たちのために建物を寄付することができました。
そして彼のデザイン ビジネスは成長し続けています。自分の手掛けるすべての作品は、優れた技量と素材で作られているため何年も長持ちし、父親から息子へと受け継がれる、とO’Sheaは指摘します。
「私は非常に幸運だと思います。ニュージャージー州北部のフリーメイソンで頼りにされています。また、フリーメイソンの上位階級のためのジュエリーも作っています。本当に素晴らしいことです。」
Dan Brownがシンボルにまつわる謎をテーマにしたベストセラー小説を書き続ける一方、O’Sheaはフリーメイソンのシンボルをフリーメイソン ジュエリーに変えているのです。宝石学のアドベンチャーはこれからも続きます。