シアトル在住の宝石学者、真珠輸入を通して、家族遺産を築く
10月 3, 2014
間違いなくショーの中の最年少起業家であったObaですが、彼女の3歳になる弟、Averyがその後を猛追しています。 彼らの両親、Yoshizumi(Yoshi) とJessica Oba夫妻によると、Averyは既に真珠をミリサイズにまでふるい分けする作業を習得中だそうです。
Oba家の年長者で真珠貿易商Y.K. Tradingのオーナー であるOba夫妻は、どちらも1995年11月にGIAサンタモニカ校にて、グラジュエイトジェモロジスト(GG)を修了し卒業しました。
夫妻は元々入学日が異なっていましたが、スケジュール表が変更されたことで、同じクラスメートとなりました。 Jessica Obaは、礼儀正しい、若い日本人男性と最初の日に出会ったことを覚えています。現在の夫である彼は、2人は良い組み合わせに違いないとすぐに分かった、と冗談を言います。
「Jessicaはクラスで最優秀生で私は最劣等生でした。だから何とか彼女をゲットしなければならないと思ったんです」とObaは言います。 「私はGIAで将来の花嫁に出会うなどと想定はしていませんでした。まさに運命というべきでしょうね。」
Yoshi Obaは地元の日本・神戸市で真珠産業に囲まれながら育ちました。 彼の父は真珠会社を経営し、Obaは父親の仕事仲間からGIAに関する話を耳にしました。 若くして彼は、グラジュエイトジェモロジスト(GG)修了書が真珠業界で働く人たちの間で重んじられていることに気付いたのです。
そこで10代のObaは、いつか渡米して自らのビジネスを立ち上げる決意をします。 真珠にはある程度通じてはいたものの、他の宝石についてもっと深く学び、宝飾業界を別の視点から捉えたいと考えていました。 ビジネス成功のための最初の任務は英語習得でした。そのため彼は1990年に日本を発ち、彼の「第二の故郷」であるワシントン州シアトルへ渡りました。
Jessica Obaは、親類も含めて真珠産業に何の縁故もありませんが、物心付いた時から宝石への関心を持っていました。 最初の職務経験は、カリフォルニア州オックスナードの高校生時代に勤めていた、純銀および宝石を専門に取り扱っていたギフトブテッィクに遡ります。 彼女の宝石への好奇心は、その経験によってさらに高まりました。気遣いのあるマネージャーからGIAのパンフレットを渡された彼女は、当校で開講される通信教育コースへ入学したのでした。
Jessica Obaは、高校のときに小売業者で稼いだお金を使い、カリフォルニア州カマリロ近くにある高級宝飾店に卒業後初めて就職するまでコースを受講し続けました。
「通信教育での学びには満足していたし達成感があったけど、でもキャンパスで学ぶことを切望していました」と彼女は言います。
こうして彼女は1995年5月にサンタモニカに移り、そこで将来の夫兼ビジネスパートナーと巡り会うことになります。
そして卒業後の1996年、カップルはすぐにシアトルに移りました。 Yoshi ObaはY.K.Tradingを設立し、 Jessica Obaはカラーストーン卸売りの仕事を引き受けました。 彼らは2年後に結婚し、Jessica Obaはファミリービジネスの立ち上げに乗り出したのです。
今日、Y.K. Tradingは日本、中国、タヒチから日本の阿古屋、中国の水産、タヒチ海、南洋などの数種の真珠を輸入・販売しております。 主な顧客は、個人経営の宝石・宝飾品店、デザイナー、卸売修理店などの小企業です。 また専門技術を活かした、請負作業を行うこともあります。例えばJessica Obaは他のディーラーの注文に応じて真珠の糸通しを行い、Yoshi Obaは他の企業のために穴あけや大量注文の振り分けを行います。
2人のビジネスは真のインターナショナルコミュニティにおいて成り立っているため、Jessica Obaが言うように、GIAでの経験が常に活かされているのです。
Jessicaは「GIAで習得する技術ははかり知れません。」と言います。 他の卒業生に会う際には、素早い意思疎通法が図れます。基盤として、共有された深い知識があるので、同業者や顧客に自信をもって応対できます。」
彼らの2人の子供たちが早くもこのファミリービジネスに関心を持てば、Oba家は宝石学の「素早い意思疎通法」をすぐに使うかもしれないでしょう。
著者について
寄稿者の一人Jaime Kautskyは、GIA Diamonds修了およびGIA Accredited Jewelry Professional (AJP アクレディテッドジュエリープロフェッショナル)で、The Loupe(ルーペ)誌の副編集長を数年務めていました。