GIAの女性達:3人のイノベーターの肖像


Beatrice Shipley(ビアトリス・シプレー)、Eunice Miles(ユーニス・マイルズ)、Alice Keller(アリス・ケラー)
Robert(ロバート)とBeatrice Shipley(ベアトリス・シプリー)夫妻が1931年にGIAを創設して以来、GIAは献身的で情熱のある従業員に依存してきました。GIAのビルの廊下を歩いている男性や女性以上にGIAに貢献した資質はありません。

しかし、GIAが創設されたとき、女性がGIAの将来に影響を及ぼすと期待していた人はほとんどいませんでした。 1930年の米国国勢調査によると、 10歳以上のアメリカ人の女性のわずか22%が家庭外で働いていました。 そのうち、3分の1以上は「メイドや個人的なサービス」として雇用されていました。大恐慌の間でさえも、女性は専門職での雇用を求めたり、結婚後に働き続けることは期待されていませんでした。

創設以来このような傾向に抵抗して、GIAは、ラボ、事業活動、出版業務など、分野を問わず、宝石学を前進させるために常に女性の貢献を歓迎し奨励してきました。 このように、GIAは、女性の先駆的な願望と成果の育成において時代を先取りしてきました。

ここでは、その貢献により究極的にGIAの歴史の流れを変えた3人の女性達を称えて紹介します。


Beatrice Shipley(ベアトリス・シプリー):GIAの「中心人物」

Beatrice Shipley
Beatrice Shipley(ベアトリス・シプリー)(1888年-1973年)、写真提供:© GIA。
GIAの創設の発端となったのはRobert Shipley(ロバート·シプリー)であったのかもしれませんが、彼の妻かつビジネスパートナーであるBeatrice Shipley(ベアトリス・シプリー)の精神的、金銭的、および経営についての支援なしでは、彼の夢が最初の数年を乗り切ることはできませんでした。 1928年にパリのルーヴル美術館で偶然に会い、その出会いが43年間の結婚へとつながり、宝石学の分野で革命的な変化をもたらしました。 夫がGIAのプログラムに関心を広めるために北米を旅していた間、経営、教育、業務管理における彼女のバックグラウンドだけでなく、財務における彼女の鋭い洞察力が、大恐慌の最中にGIAが困難な状況を切り抜けるのに貢献しました。 これらの困難な年月の間に働いていた従業員は、Beatrice Shipley(ベアトリス・シプリー)はGIAを前進し続け成功させた「中心人物」であったと述べています。

苦難や実用性の味を知っている離婚者Beatrice Woodell Bell(ベアトリス・ウッデル・ベル)は、監督派教会で管理者として、およびロサンゼルスのマールボロ女学院で学部長として働いていました。 1930年にRobert Shipley(ロバート·シプリー)と結婚した後、夫が総合的な宝石学トレーニングプログラムの計画を立てている間、彼女は小さなアートギャラリーを経営していました。 この試みに最初は疑いを持っていましたが、それにもかかわらず、彼女は夫を完全にサポートし、GIAの日々の業務を管理するために1932年に彼女のアートギャラリーを閉店しました。

女性であることとRobert Shipley(ロバート·シプリー)との関係を隠すために 「B.W. ベル」という名前で働き、プロのビジネス環境を築き上げて維持しながら、規格、慣習、および予算を実践しました。 ビジネスが低迷している間には、彼女は給与支払いを担当し、やる気を高め、学生に郵送される前に教材を集めてホッチキスでとめたりするような最も基本的な作業をすることを決して気にせずに行っていました。

事務業務に加えて、彼女は宝石や宝飾品に関して女性のグループにスピーチをしました。 Rosalind Russell(ロザリンド·ラッセル)、Gary Cooper(ゲイリー·クーパー)、そしてCesar Romero(シーザー·ロメロ)などのハリウッドスターの母親にしたプレゼンテーション「Gems & Personalities(宝石とパーソナリティ)」では、Shipley(シプリー)夫人は、各宝石の特性を説明し、各有名人の母親を、外観に基づき、似合う宝石で着飾りました。 このような話題がきっかけで、主流客がGIAに惹きつけられ、GIAの宝石学の業務にこれまで以上に注目が集まるようになりました。

Shipley(シプリー)が宝石商のための専門ギルドとして姉妹組織を設立しようと努力したのが主因で、American Gem Society(アメリカ宝石協会)が1934年に設立され、Shipley(シプリー)夫人が管理責任者を務めました。

Beatrice Shipley(ベアトリス・シプリー)は、1943年にGIAとAGSの両方から退職し、最終的にはロサンゼルスガールスカウト協議会の会長を務めることになりました。 しかし、宝石学の発展に対する彼女の献身は衰えたことがなく、生涯を通じてGIAの業務に関する夫のアドバイザーとしての任務を果たしました。 1973年に彼女が亡くなった後、宝石学の分野での先駆者として、苦労して達成された順当な評価を得て、宝石学業界で賞賛されました。


Eunice Robinson Miles(ユーニス・ロビンソン・マイルズ): 「GIAの母」

Eunice Miles
Eunice Miles(ユーニス・マイルズ)(1917年-1997年)、写真提供:© GIA。
祖母の宝石·鉱物コレクションのおかげで、Eunice Miles(ユーニス・マイルズ)(旧姓ロビンソン)は、子供時代に宝石に対して情熱を抱き始めました。 彼女にとって宝石学の分野で学位を取得したりキャリアを確立するのは自然な​​流れでした。 1953年、Miles(マイルズ)は歴史上GIAのラボで初の女性宝石鑑定士となりました。 GIAに在籍中、彼女の画期的な研究やダイナミックな講義は学生と同僚共に多大な影響を与え、Richard Liddicoat(リチャード・リディコート)を始め、多くの人から「GIAの母」というニックネームで呼ばれていました。

MIT(マサチューセッツ工科大学)のクラスで唯一の女子学生であったMiles(マイルズ)は、1944年にGIAの認定宝石鑑定士(C.G.)のディプロマを取得しました。 15年間勤務したニューヨークのラボに参加する前に、テレビにも登場したほど宝石学のトピックについて広範囲に渡って講演しました。 同僚はMiles(マイルズ)の活動を目撃することですぐに彼女に能力があることを認め、尊敬の念を示しましたが、ディーラーその他の取引関係者から認められるのはそれほど簡単ではありませんでした。 彼女は、ラボの受付と間違えられ、ある時、「あなたは女性だ!ダイヤモンドについて女性に何がわかるのですか?」と言われました。

女性であったことが、あたかも大問題であったかのごとく、こう言われたのです。 後に、Miles(マイルズ)はダイヤモンドコーティング技術および鑑別の研究を開拓しました。 彼女の業績はU.S. Department of Mines(米国鉱山局)によって認められ、 不正にコーティングされたダイヤモンドのディーラーを逮捕するためにFBI(米連邦捜査局)によって最終的に使用されました。 ダイヤモンド·グレーディング·レポートの彼女のイニシャルは、GIAの卓越性における評判を持ち上げました。

ラボでの彼女の業績に加えて、Miles(マイルズ)は講師、教師、およびキャリアカウンセラーとしてのGIAでの任務を果たし、学生と信頼関係を築き、その後数十年も長く続いた関係を構築しました。 退職時には、GIAの公認歴史家となり、1997年に亡くなるまでこの職務を遂行しました。

退職時までには、宝石学の分野におけるEunice Miles(ユーニス・マイルズ)の影響は幅広く認識されていました。 彼女は数々の賞を受賞し、Gemmological Association of Great Britain(英国宝石学協会)からの名誉フェロー、Women’s Jewelry Association(女性宝飾品協会)からの殿堂賞、国際宝石鑑定士学会および宝石業界サービス賞がその一例です。 1986年、Association of Women Gemologists(女性宝石学者協会)は設立時の受賞者であるMiles(マイルズ)にちなんで特別功労賞を命名しました。 彼女の宝石学の業績は、研究の分野において、および彼女の名前で設立され1989年から毎年、学生に授与されているGIAの奨学金を通じて、いまだに今日の学生に多大な影響を与えています。


Alice Keller(アリス・ケラー):「G&Gの熱心な保護者」

Alice Keller
Alice Keller(アリス·ケラー)、写真提供:Eric Welch(エリック·ウェルチ)、© GIA。
今日の『Gems & Gemology』(宝石と宝​​石学)の読者は、すべてのページでAlice Keller(アリス·ケラー)の影響を見ることができます。

GIAの普及と影響を高めるためのRobert Shipley(ロバート·シプリー)の構想のうちひとつは、専門誌でした。 『Gems &Gemology』(宝石と宝石学)は、宝石学者や小売宝石業界の両方のために宝石研究の宝庫として1934年1月に創設されました。 1934年から1980年まで、GGはRobert Shipley (ロバート·シプリー)とRichard Liddicoat(リチャード・リディコート)の2人の編集長の指導の下で管理されていました。 数十年にわたって、同誌は、その創刊時と同じ外観と形式を保っていました。 出版物は5.5×8.5​​インチ(約14cm×21cm)であり、主に白黒で印刷されており、写真はほとんどありませんでした。 G&Gは、画期的な研究および内容を出版しましたが、外観が控えめで読者数が限られていたため、同誌は宝石社会から広く注目を得るために全面的な見直しを必要としていました。

1980年、GIAの50周年を見据えて、Liddicoat(リディコート)は、専門誌での経験10年を持つ編集者であるAlice Keller(アリス·ケラー)を抜擢し、編集者を管理する役職に着任させて、GIAの主力出版物の全面的な見直しを担当させました。 Keller(ケラー)のリーダーシップのもとで、G&Gは8.5×11インチ(約21cm×28cm)およびフルカラーの出版物に変身しました。 彼女は、同分野の専門家による査読のシステムを確立し、世界で最も著名な宝石学者や研究者の数人が含まれている編集審査委員会を設立しました。

多くの記事が広く読まれ、数々の賞を受賞し、科学としての宝石学へより大きな注目が集まったことで、彼女の努力は絶頂に達しました。 G&G自体は、Keller(ケラー)のリーダーシップのもとで34賞を受賞しました。 また、彼女は、合成、処理、カラーダイヤモンドに関する数十年における記事をそれぞれ本の形で再版した「査読におけるGems & Gemology(宝石と宝​​石学)」シリーズの3版の出版を担当しました。

22年における業務遂行の後、彼女は2002年にG&Gの編集長となり、印刷版で専念したように同じレベルの卓越性を保ち、詳細への注意を払い、同誌をエレクトロニクス時代へと引き続き進展させました。 編集業務に加えて、1999年、2006年と2011年に彼女はGIAのInternational Gemological Symposium(国際宝石シンポジウム)で共同議長を務めました。 彼女は、2010年に当時のGIAの最高経営責任者(CEO)から「G&Gの熱心な保護者」と呼ばれていました。

1991年の最優秀従業員の受賞者のひとりであるKeller(ケラー)は、彼女の業績に対しGIAの外でも多くの称賛を獲得しました。例えば、Women’s Jewelry Association(女性宝飾品協会)から優秀出版賞およびAmerican Gem Trade Association(アメリカ宝石貿易協会)から名誉終身会員を1998年に両方獲得しました。 2003年には、GIAの最高の栄誉であるRichard T. Liddicoat Award(リチャードT. リディコート功労賞)を受賞しました。 彼女は2011年に退職しましたが、G&Gの名誉編集長として名を残しています。

Beatrice Shipley(ベアトリス・シプリー)、Eunice Miles(ユーニス・マイルズ)、Alice Keller(アリス·ケラー)は、GIAが定めた理想の良い例となりましたが、彼女たちは決してGIAにとって特有な存在であったわけではありません。 これら3人の女性達は、GIAの世界的な普及を広め、従業員と学生の両方としてドアから入ってくる数千人の他の女性および男性のために準備を整え、GIAの進路を変えました。 GIAの人々は、Shipley(シプリー)、Miles(マイルズ)とKeller(ケラー)を見習って、21世紀にも世界中の14カ国で宝石学のあり方を変更し続けています。

Jennifer-Lynn Archuleta(ジェニファー‐リン·アーチュレッタ)は、『Gems & Gemology』(宝石と宝石学)の副編集長です。