スーパーボウルリング:NFLチャンピオンシップリングのギャラリー


編集後記:この記事は当初2013年12月26日に掲載され、2016年1月26日に更新されました。

スーパーボウルは、米国で最も人気のあるスポーツイベントです。約1億1000万の米国人が、2015年2月、ニューイングランド・パトリオッツがシアトル・シーホークスを相手に、試合残り数秒でスリリングな勝利をおさめる場面を見ていました。 それ故に、人がスーパーボウルリングに強い感心を示すのは不思議ではありません。
 

長年を通してのスーパーボウルリング

スーパーボウルの人気が高まると同時に、リングもより豪華になっています。ダイヤモンドや宝石の数が増え、デザインもより手の込んだものになり、「凄い!」と印象つける要素が盛りだくさんです。 1966年に作られた初代リングには、1カラットのダイヤモンドがただ一つ使われただけでした。

第44回スーパーボウルの勝者であるニューイングランド・ペイトリオッツは、すべての記録を破った上に取得したスーパーボウルリングで勝利を祝いました。 合計4.85カラットの重量を持つダイヤモンド205個がまNFLチャンピオンシップをまばゆいばかりに輝かせていました(ペイトリオッツの2003年優勝時のスーパーボウルリングは104個のダイヤモンド、2004年優勝時のスーパーボウルリングは124個のダイヤモンドがつけられていました)。 チームオーナーのRobert Kraftは、このリングを今季優勝以前のチームが受け取ったものを凌ぐものにしたいと言い、チーム関係者はこれは「これまでで一番大きなリングだ」と宣言しました。

ペイトリオッツの第44回スーパーボウルリングについてのさらなる詳細:リング表にある4つのマーキスカットダイヤモンドはロンバルディ・トロフィーを象徴しています(チームはスーパーボウルで4度優勝しています)。 44個のパヴェセットされたラウンドダイヤモンドがチームのロゴを縁取ります。 チームモットーでもあった「任務を果たす」というフレーズが、ゲームの最終スコア(28-24)とともに側面に刻印されています。

チャンピオンシップリングの主要デザイナー及び製作者であるJostensは、ペイトリオッツのスーパーボウルリング全4点を含め49点あるスーパーボウルリングのうち32点のリングを、また何十ものサッカーチャンピオンシップリングを制作しています。 GIAは、スポーツマーケティング兼開発担当ディレクターのChris Poitrasに、スーパーボウルリングがどのようにデザインされるのか尋ねました。
 

スーパーボウルリングギャラリー

ボルチモア・レイブンズ 第47回スーパーボウル リング
Poitrasによると、優勝チームのリーダーらがJostens'のマスタージュエラーと共同で、組織内のチーム選手、経営陣及び他のスタッフのために、優勝リングを特注でデザインおよび制作すると説明しました。

このプロセスについて、Poitrasは次のように語ります。「目標はチームと協力することです。 リング作りで最も時間がかかるのは、チーム、彼らの偉大な勝利、そして彼等にとって特別なるシーズンについて語りかける作品をデザインすることです。 デザインによって、リングの作製には数週間から数ヶ月かかります。」

Jostensは、リングのデザインにCADやラピッドプロトタイピングを使用しています。 また各リングは、ロストワックスプロセス(リングのワックスモデルを作り、素材で包み込み、モデルを焼いてワックスを除去し、そこにできたキャビティに溶融金属を流し込む方法)に続いて、鋳造、仕上げと研磨、そして最後にダイヤモンドや他の石のセッティングが行われます。
2010年ニューオーリンズ・セインツ・スーパーボウルリング
ニューオリンズ・セインツは、2010年のスーパーボウルで初優勝した。 チームの色は黒と金であり、チャンピオンシップリングも同じ色である。 写真提供:Tiffany & Co(ティファニー)
Tiffany & Co.(ティファニー) これまでに7個のスーパーボウルリングを制作しており、チームリーダーらと連携してチャンピオンシーズンとフランチャイズチームの精神と歴史を反映させています。 例えば、2012年のニューヨーク・ジャイアンツのリングの内側には「Finish」と「All In」という、シーズンでチームを結集させた二つの言葉が刻まれました。
2008年 ニューヨーク・ジャイアンツ・スーパーボウルリング
2008年、ニューヨーク・ジャイアンツは、遠征試合で11勝した上でスーパーボウルを勝ち取り、この事実がリングに華やか刻みこまれる。 同チームは3度目のスーパーボウル優勝を果たした。 写真提供:Tiffany & Co.(ティファニー)

スーパーボウルリングに関する雑学

  • NFLは150個のリング制作費用として、各チームに5,000ドル(約50万円)を付与します。 各優勝チームは割当金額よりもはるかに多くの額を費やします事が多いです。
  • Lawrence Taylor選手の1991年度スーパーボウルリングは、2011年5月のオークションにて23万401ドル(約2300万円)で落札されましたが、ほとんど場合スーパーボウルリングは、これよりはるかに低い金額で売られます。 Fred “Fuzzy” Thurston選手のスーパーボウルIIのリングは、2011年に5万788ドルで売られました。
  • ピッツバーグ・スティーラーズとオークランド・レイダーズは、1970年代のに激しく競い合うライバルであり、その競争はそれぞれのリングにも及びました。 レイダースのスーパーボウルXIリングには27個のダイヤモンドが用いられてましたが、スティーラーズは、スーパーボウルXIII優勝時のリングにはそれを上回る30個のダイヤモンドを使用しました。 レイダースはこれに応酬し、スーパーボウルXV優勝のリングには33個のダイヤモンドを使用しました(下記参照)。
オークランド・レイダーズとピッツバーグ・スティーラーズのスーパーボールリング
写真提供:NFL
男性プロスポーツ選手の平均的なリングサイズは12または13です。 これに対し、プロスポーツ選手でない男性の平均的なリングサイズは10½です。 これまでに制作されたスーパーボウルリングの最大のサイズは、スーパーボウルXXでシカゴ・ベアーズでプレーしたWilliam “Refrigerator” Perry選手のサイズで25でした。 このペリー選手のリングは、50セント硬貨(直径30.61ミリメートル)を通すことができる程のサイズです。
 

スーパーボウルリングにまつわる伝説

スーパーボウルリングは伝説的な存在であり、驚くような物語が付随する事があります。 ニューヨーク・ジェッツ、スタートメンバーでセンターのJohn Schmitt選手は、1971年にハワイ沖合でサーフィン中にスーパーボウルIIIリングを紛失しました。 彼は、足ひれとシュノーケルを着けて3時間も潜って探しましたが、体力の限界で断念しました。
ニューヨーク・ジェッツ・スーパーボウルIIIリング
写真提供:Brenda K. Reichel
およそ20年後、ワイキキのライフガードであるJohn Ernstbergがそのリングを見つけました。 単なるアクセサリーだと思った彼は、箱に入れてしまい込みました。 Ernstbergが亡くなったとき、彼の又姪であるCindy Saffreyと、その夫Samuel Saffreyがリングを見つけ、GIA GGである鑑定士のBrenda K. Reichelへ持って行きました。 Reichelは、そのリングにLG Balfour(リングメーカー)の登録商標、42グラムのゴールドとダイヤモンド、そしてスコアと背番号が含まれていることが分かりました。

Saffrey夫妻の許可を得て、Reichelはリングの持ち主を探し始めました。 3日後、彼女とSaffrey夫妻はJohn Schmitt選手に電話しました。 Reichelは、そのときの会話を次のように覚えています。
John選手は、Saffrey夫妻がお金を望んでいるのかと聞きました。 私は、彼らが望んでいるのはそのリングをあなたに返すことだけだ、と伝えました。 すると、彼は泣き崩れました。 私たちはみな、感極まりました。 もし自分がGIAに通っていなかったら、リングのダイヤモンドが本物である事は分からなかったでしょう。
 
スーパーボウルリングはさらに、国際的な事件をも引き起こしています。 ロシアのプーチン大統領は、2005年のビジネス代表団のロシア訪問時、ペイトリオッツのオーナーであるRobert Kraftの4.94カラットのスーパーボウルリングを、手に入れる次第となりました。 2013年6月、Kraft氏はプーチン大統領が「黙ってポケットに入れた。」と言いました。プーチン大統領の方は「Kraft氏もリングのことも覚えていない。」と語りましたが、後に替えのリングを約束しました。 評価額2万5千ドル(約280万円)であるKraft氏のリングは、現在もクレムリンの図書館にあります。