本: Jewellery in Israel: Multicultural Diversity 1948 to the Present(イスラエルの宝飾品: 1948年から現在までの多文化多様性)
10月 15, 2014

Fishofの第1章は、イスラエルジュエリーをイラスム教徒の芸術家に作製されたキリスト教のエルサレム巡礼者用お土産を、最古のものとして始めています。 パレスチナにユダヤ人の故郷を再建しようとするシオニズム運動によって、エルサレム市に the Bezalel School of Arts and Crafts in Jerusalem(ベツァルエル美術工芸学校)が設立されました。 幾度もの名称や指導者の交代を経ながら、この学校はイスエラエルの宝飾品に影響を与えていく事になりました。
ベツァルエルでは、当初ヘブライ語のアルファベット、ユダヤ教のシンボル、聖書からの場面、聖地をモチーフにしたヘブライ流のスタイルを確立する事に専念していました。 しかし、1930年代のナチスの台頭等で、ドイツの金属細工士を含むヨーロッパからの第一波の移民が持ち入れた合理的で簡素なバウハウス教義により、モダニズム主義が開花し始めました。 それは、30年以上に渡り、イスラエルのスタイルを象徴する事になるのです。
1948年のイスラエル建国後、世界中からユダヤ人移民が集まった事により、その地域の人口が倍にまで跳ね上がりました。 The Melting Pot: 1950s to 1970s (人種のるつぼ:1950年代から1970年代まで)と題された章では、ユダヤ人移民が過酷な土地において生計を立てるため葛藤しながら、どのようにして独自の文化的アイデンティティーよりイスラエルの文化を優先する事を強いられたかが、描かれています。 イエメンからの移民者は、数世紀にわたるイスラム宝飾品デザイン文化を持ち、強固で永続的な影響を及ぼしました。 イエメン民族性を持つ宝飾品は当時のイスラエルの女性達には余り人気が無かった為、Fishofは、どのようにして職人達により現代の女性の需要と思考に合うように適合されていったかを説明しています。つまり、一つ一つ分解し、それらをよりコンテンポラリーなものに、組み直していったのです。 非伝統的な要素を取り入れながら、伝統的なスタイルを反響させた最初のコンテンポラリーデザイナーの一人に、Finy Laitersdorfがいます。 彼女の、砂漠に摩擦されたガラスの破片が用いられたデザインは、後の非貴金属使用のデザイナージュエリーの先駆けとなるのです。
1960年代には海外からの移民および海外留学を経験したイスラエルデザイナーによって、新たな影響がもたらされます。 イスラエルのデザイナー達は、20年もの間人知れず進化していた審美的郷土デザインに、異なったスタイルや原料である、パースペックス(ルーサイト)や新たに発見された素材を相和させるといった事を、実験的にし始めました。
この段階で、宝飾芸術家達がかなりの影響力を持つ事になり、バウハウス主義は衰退し始めました。 そしてここより、Fishofは自身の著書において、イスラエル宝飾品への文化多様性と移民の影響のついての強調を薄めています。 第4章のInternational Recognition(国際的承認)では、世界的に認められた4人のイスラエルの宝飾デザイナーのBianca Eshel Gershuni、Vered Kaminski、Esther Knobel、そしてDeganit Stern Schockenが紹介されています。 彼ら4人とも全員が、イスラエル出身であるか、もしくは幼少時に、両親と共にイスラエルに移住した者達でした。 これらの女性達がベツァルエルの講師達となり、イスラエルの新進芸術家の育成を努め続けます。
最後の章、The Contemporary Scene (現代において)では、Fishofは焦点を現代に移し、イスラエルの宝飾品が、いかにヘブライスタイルから進化していったかを論証していきます。しかしながら、植物や宗教的な象徴など多くの影響は未だに見る事ができ、それらは多くはより抽象的になりました。 イスラエルの農村部、都市部の両方のモチーフに基づいている作品もあります。 作品は多くの場合、個人の又は家族に関する事を語るような物語性を持ってます。それはKnobelによる、イスラエルの子供達の習慣的に作られていた松葉の首飾りを象ったネックレス、のようにです。イスラエルは70年以上もの間、紛争地域においてアイデンティティーを築き上げようとしている国家のため、多くの先品には戦争がテーマとして組み込まれています。
他の世界中の多くの宝飾品芸術家のように、イスラエルの現代宝飾品芸術家らも非貴金属を多用しています。 イスラエルの宝飾品においてはタイル、石達、金網、または空き缶の破片なども使用されている場合もあります。
最後の章でFishofは、イスラエルの宝飾品といった概念は存在するのかと自問し、存在すると結論付けています。 最初にこれを目にした時、私は賛成できませんでした。なぜなら今日、多くの宝飾品芸術デザイナーは、彼らの身近にある安価もしくは、破棄された物さえも使用しながら、個人的そして時には彼らの痛みを供なったメッセージを表しているのであるからです。 しかし、二度目に読み終えた時、私の考えは変わりました。 芸術家の身の回りの物、そしれ彼らの文化的または芸術的遺産を遺産を題材にしたイメージ、色、そして物質以上に、国家のデザインの概念を表す物は無いと。
いかなる場合も民の宝飾品の歴史を紹介する本には、著者の意図を明示する際に、はっきりとした挿絵や解説が必要です。 それは難しい事でありますが、著書イスラエルの宝石では、白黒やカラーも混ぜながら(多くの写真がフルページで)、豊富に図説されています。
歴史に関しては、時に途切れ途切れになっている部分が多くあります。 イエメンの銀細工士達が、最初の章で紹介されており読者に、彼らがどこかでイスラエルの宝飾品製造に関わってくるのではないかと想像させます。 第2章になってやっと、彼らの殆どがイスラエルが国家になった後の1940年代に移民してきた者達であると分かるのです。 語り口の不自然さの多くは、文章の翻訳の過程によるものと思われます。
私はイスラエルの宝飾デザインに、何らかのパレスチナの影響を見る事に興味がありました。 Fishofは宝飾において語られている物への戦争の影響には触れているのですが、デザインへの影響力には言及していません。 Fishofは近年のアフリカ系移民の流入の存在を認めてはいますが、それがイスラエルの宝飾にどのような影響を与えるかを知るには、時期尚早であるのかもしれません。
全般的に見て、地理的な大きさや建国年数よりもデザインの影響を強く示す国かもしれないイスラエルの民族的、現代宝飾芸術宝飾品に興味を持つ人にはお勧めの一冊です。
書評家について
Sharon Elaine Thompson はグラジュエイトジェモロジスト( GG)であり、Gemmological Association of Great Britain (FGA)の会員でもあります。 彼女はGemological Institute of Americaの講師を勤めており、25年以上宝飾品および宝飾品製造について広範囲にわたって執筆を続けています。 彼女は現在、ジュエリーデザインに関する書籍、Good Bones: The Elements and Principles of Design for Jewelry Makers (しっかりとした骨組み:宝石職人の為のデザインの基礎と原則)をBrynmorgen出版社の契約の元で執筆しています。