アンデスからパンタナルへ:アメトリンを求めて


アメトリン
アメトリンは多くの場合、予備成形の前に明るい光の下で検査をし、未加工状態での紫色と黄色が最良に見える方向を確認してその後のカット作業に備える。
はじめに
アンデス山脈の最高峰は、ボリビアの上に堂々と聳えています。 面積は百万平方キロメートル以上、テキサス州の二倍はあるこの国は、南米の中央のかなり大きな割合を占めています。 コルディレラで知られるアンデス大山脈は、国の東部の三分の一を駆け巡り、コロンブス以前の時代からそうであったように、ボリビア人口1000万人の大半がここに住んでいます。 1500年代初めにスペイン人コンキスタドールが征服し、この美しい豊潤な土地を自分たちのものだと主張した後さえも、アンデスは国の生命線として役割を果たしてきました。
 
ワイナ・ポトシ山
ボリビアの一千万の人口の大半は、アンデス山脈に住んでいる。 ワイナ ポトシ山はラ パスのすぐ北に位置している。
世界で最もユニークな宝石の1つ、アメリントンの産出地に皆さんをご案内します。 この宝石では、自然が2つのクォーツ変種、パープルのアメシストとゴールドのシトリンを組み合わせました。 アメトリンはこのエキゾチックなアンデス山脈の国でのみ発見され、この地は産出する宝石と同じくユニークな土地です。

パープルとゴールドのアメトリン
この44.00ctのアメトリンには紫色と金色を混ぜ合わせるように連なった凹面があり、美しい効果を生み出している。 提供:Minerales y Metales del Oriente
目標は、アメトリンとその起源を良く理解すると同時に、これを採掘し大切にしている人々について良く知ることです。  私たちはこのユニークな宝石素材を産出するために地球の地殻に穴を開けて作られたトンネルや立て杭を、手を汚してよじ登りながら、アナイ鉱山そのものへ皆さんをご案内します。 そこでは、アメトリンがどのように輸送、選鉱され、宝飾品向けの宝石のための最終的な作業がどの様なものであるかをご覧いただけます。 最後に、これらの財宝の販売を専門とするボリビアの魅力的なショールームへご案内します。 全過程で、真の「鉱山から市場へ」の流通をご体験いただけます。
               
しかし、私たちのボリビアを渡る旅は、アメトリンを生産する熱帯環境からほど遠い、アンデスの高地で始まります。
 
ワイナ・ポトシ山とチチカカ湖
ワイナ ポトシ山とチチカカ湖。
ボリビアの高地
ボリビアの最高峰エル ネバド デ サハマは、海抜21400フィートに位置し、アンデス山脈の他の見事な景観の山頂の多くがそうであるように、万年雪に覆われたままになっています。 それはボリビアを育ててくれる西部と中部の山脈からの雪です。 雪溶け水は、世界で最も高い可航水源チチカカ湖のある高地アルティプラノに向かって勢いよく下ります。 また、これは南アメリカ最大の淡水湖であり、大気圏外から見ることもできます。さらに、1900年代半ばに再発見される前に絶滅したと考えられていた、ジェームズ フラミンゴなどの魅力的な高地の動植物の生育地でもあります。
               
ボリビアの歴史の源、人口の大部分、および豊かな文化や鉱物は、アルティプラノのこれらの厳しい標高に由来します。 この乾燥した一見荒涼たる場所に、強大なティワナク文明が、かつて栄えていました。 ティワナクは強大なインカ帝国の先駆けであると歴史家によって考えられており、その人々は、早ければ紀元前1500年くらいからチチカカ湖の周辺地域に居住していました。 農業を専門にする文明であったことを示唆する痕跡があります。 紀元前300年頃の文明の最盛期のこの地域は、世界のジャガイモの多くの品種、および特種な大麦、キノア、そしてラマ、ビクーニャ、アルパカなどの家畜化ラクダ科動物種の産出地でした。 また、人々は優れた石工でもありました。 ボリビアで最も重要な考古学的発見でありユネスコの世界遺産であるティワナクへ訪問すると、装飾や儀式を目的とした驚くべき建築様式と石の彫刻が存在することが実感できます。 そこで最も重要な象徴のひとつは、プエルタ デル ソル(太陽の門)です。これは、複雑なヘッドドレスを身に着けて、人間のような鳥に囲まれている太陽神インティの見事なデザインが彫刻された巨大な一枚岩です。
 
プエルタ・デル・ソル
ティワナクには、ボリビアの最も重要な考古学的遺跡であるプエルタ デル ソル(「太陽の門」)がある。 このコロンブス時代以前の古代の一枚岩は、ボリビアの主要な聖像である太陽神「インティ」を描いている。
ボリビアの河川や高地の湖は、現地の人々同様に、アンデスによって恩恵を受けています。 実際に、ボリビアの人口の大部分はアンデス地域に集中しています。 スペイン人は、1500年代にこの地域に居住し植民地化を始め、新世界で見つけた原料を携えてヨーロッパに頻繁に戻っていきました。 豊富な鉱物に恵まれていたボリビア(当時はグレートコロンビアとして知られていた)から、銀、金、その他の財宝が膨大な量で略奪されていました。 これが、1500年代と1600年代のスペイン帝国の成長に大きく貢献しました。
 
アンチプラノ地域のボリビア人ラマ放牧者
アンチプラノ地域のボリビアのラマ放牧者。
トシ
現在我々がアメトリンをボリビアの宝石や鉱物の豊富さを様々に想起させるものと見なすのと同様に、1500年代から1600年代ににおいてはそれが特に金や銀といった、貴金属でした。 ポトシの都市は、アンデス山脈地域の外に流れ出す財宝を示すよい例です。 1544年に発見された銀に関する興味深い逸話があります。 インカのラマ放牧者フアルパは、自分の動物を1匹見失ってしまい、そのまま帰るわけにもいかずに山の斜面で一晩過ごすことにしました。 このような高地における絶え間ない寒さから、さらには太陽が沈んだ後寒さは増すため、フアルパは暖を取ろうと火を焚きました。 すると伝説にもあるように、溶けた銀の細い糸が、燃料の下から小さな小川へ流れ始めたのです。銀の主脈でした。
 
ポトシ市は世界の銀の多くを生産している。 セロ・リコ
ポトシ市は世界の銀の多くを生産している。 背景に見えるのは、セロ リコ銀山。
この発見以来約500年間、セロ リコは、世界最大の銀の鉱床となっています。 また、極度に高い海抜14000フィートに位置し、世界で最も高地にある稼働鉱山の一つです。 この発見のため、ポトシからスペインへと渡る純銀の橋を建設することもできると言われたものでした。 これは、セロ リコの富の多くがその後数世紀にわたりスペインに直接行ってしまったので、比喩的には本当のことでした。 1500年代にボリビアの銀産業を構築しようとする中で、スペインの総督は、ボリビアの国立造幣局、ラ カーサ デ ラ モネダを建設しました。 この非常に印象的な建物のデザインは、南アメリカの銀の通貨のほとんどだけでなく、スペインのいくつかの自国通貨にも、2世紀にもわたって刻印されていました。

La Casa de la Moneda(ラ・カーサ・デ・ラ・モネダ)
1500年代以降のボリビアの国立造幣局であるラ カーサ デ ラ モネダの中庭。
今日、ラ カーサ デ ラ モネダの屋根から見られる稀少な景色は、都市の建築様式が過去500年の間事実上変わっていないことを映し出してくれます。 多くの植民地時代の教会、赤瓦屋根のあるレンガとスタッコ仕上げの建物は、冷たい不毛の風景の中に暖かさを求めているかのように一緒に群がります。

ポトシを見渡しているのは、都市とその人々を守る神聖な物としてボリビア絵画によく描かれている、今ではところどころに穴のあいたセロ リコの山です。
 
アナイの伝説
ボリビアの植民地時代は、その中で宝石アメトリンについて言及しているアナイの伝説を紹介するのに適した時代です。 スペインのコンキスタドールは、1500年代からアンデス中に探検家のチームを送り出し、彼らは高い渓谷を下って低地へ、さらに最終的にはアマゾン流域へ旅することになりました。 彼らの義務は、祖国のためにできるだけ多くの金や銀を発見することでした。 探検家のうちの一人が、パンタナル地域近辺でアヨレオ先住民族に出会い、ポカホンタス物語のように、アヨレオの王妃であるアナイと恋に落ちたと伝えられています。 コンキスタドールに対する彼女の賞賛の印として、彼女はスペイン人がかつて見たことがない二色になった宝石を彼に贈呈しました。 この稀少な石は、現在彼女の名を冠する鉱山にて、村の近くで発見されました。

この話の成り行きにはロマンスが織り交ぜられているのと同様に、今日知られているアメトリンはそれよりかなり遅く、1970年代に発見されたようです。
 
スクレおよびラパス
ボリビアの憲法上の首都は、高い山の渓谷にあるスクレです。 この市は、国内最大で賑やかな催し物がある場所の一つでありながら、もはや政府の所在地ではありません。 すべての主要官庁、大統領の自宅、および国際大使館は現在、ラパスにあります。 それでも、スクレは近代的な便利さと古代の歴史が見事に混成した場所であり、訪問する価値のある壮大な植民地時代の都市です。 スクレは中心部に位置し、ボリビアの主要な銀およびスズ鉱山に鉄道で連結され、そこから他の主要都市や輸出拠点にも連結されています。
 
タラブコ
アンデスの村タラブコでは、多くの方が古いコンキスタドール ヘルメットの革のレプリカをいまだに着用している。
スクレからさほど遠くないところにあるのは、テキスタイルデザインの素晴らしい色と品質で知られており、現在古風な趣のあるタラブコ村です。 しかし、タラブコの評判は、常に平穏なものであったわけではありません。 タラブコ族は獰猛な戦士であり、先祖にインカとつながりを持ち、スペイン統治に対して激しく反抗しました。 この小さな町へ訪問すると、時代の最中にさまよう社会が見受けられ、部外者を受け入れにくいというぎこちない感覚が依然として感じ取れます。 メイン広場では、スペイン兵士の胸から心臓を取り出したばかりの野生の目を持つ獰猛なタラブコ族の男性の彫像が中心にそびえ立っています。 スペイン人への反抗にもかかわらず、コンキスタドールは明らかに大きな影響を与えました。 驚くべきことに、古代スペインの影響の痕跡は、数世紀後いまだに見られています。 現在でもなお、男性も女性も、時折り花で飾られた古いコンキスタドールヘルメットの革のレプリカを着用しています。

一方、ラパスは世界で最も高地に位置する大都市であり、まさしく国際的です。 ここでも帽子を好むボリビア人が、どこに行っても見られます。 ラパス地域では、帽子にはもっとヨーロッパ的な雰囲気があります。 女性は、イギリスの「山高帽」にスタイルが似た黒と茶色のフェルトの帽子を好んで着用します。 ボリビアの女性がどの都市から来たかは、彼女が身に着けている帽子の種類からよく判断できます。
 
ラパスを見渡すのは、万年雪で覆われていて首都を見渡せるボリビアの最も素晴らしい山のひとつであるイリマニ山です。 アルティプラノにある大きな盆地の中に位置するラパスは、チチカカ湖やボリビアの他の主要都市へ簡単にアクセスできる場所にあります。 都市から20マイルほど離れたところにある最も高い山の山頂まで、短いですが身の毛のよだつような車道を運転していくと、市内の高層ビルが展望できます。 しかし山の反対側を見下ろすと、ボリビアのジャングルの低地が急こう配で突然に広がっているのが見えます。 私たちはこれからアメトリンを探して、下にあるジャングルに流れる雪解け水や川に沿って、高い渓谷を越えて進みます。
 
行路  
ラパスから30分ほど飛行機に乗ると、ボリビアの熱帯の中心地にあるサンタクルスの急成長を遂げている都市に到着します。 私たちは、アメトリンの発祥の地にあと一歩と近づいています。 サンタクルスでは、Minerales y Metales del Oriente社の所有者Ramiro Riveroを最初に訪問しますこの親会社は、アナイの宝石のすべての鉱業、輸送、選別、予備成形、ファセッティング、およびマーケティングに従事している企業グループを包括しています。 アメトリンは最も切望されている宝石ですが、この鉱山は、アメシスト、シトリン、無色やラベンダーのクォーツなどその他のさまざまなクォーツも産出しています。
 
アナイを訪問するには、招待されて訪れるのが最良の方法です。 この土地柄のよそよそしさを考慮すると、約束なしで訪問した者は両手を広げて歓迎されることはまずありません。 招待を受けていたとして、それでも旅行の選択肢は限られます。 実際には、そこに到達する方法は2つしかありません。車を運転してからボートに乗るか、サンタクルスから飛行機に乗るかです。 コンキスタドールのルートを選んで、険しい藪や深いジャングルを馬に乗って何マイルも進んでいくこともできますが、おすすめしません。 別のオプションは、乾期(6月または7月などのボリビアの冬の月)まで待って、サンタクルスから田舎道に沿って終日ドライブすることです。 道はRoboréの村へと南東に蛇行し、そこからブラジルとの国境にあるプエルトスアレスの町に行きます。 これが旅のうちの陸の部分であり、鉱床までの経路の約3分の2を占めます。 世界的に有名なパンタナル生態保護区を構成する沼地や内陸水路の驚くべきネットワークが、旅の次の区間です。 はしけやモーターボートにさらに8〜10時間乗り、大規模な淡水のラグーンであるラグナマンディオーレに達するまで真北に向かいます。 その岸に沿って、小さなポートが下船ポイントとしてあり、そこからはこの旅の最後の困難な時間をアナイまで、ジャングルを通って小さな丘をいくつか越え、くねくねした道をコツコツ歩いて過ごします。

アナイ鉱山
この航空写真では、ボリビア南東部のアナイ鉱山付近が見える。 鉱山は写真の中央付近にあるが、二つの山の間の群葉でほとんど見えない。
鉱山へ到着するのに最も迅速な方法は、単発飛行機での行程で、サンタクルスから3時間半で到着します。 鉱山からそれほど遠くないところに草の滑走路が待ち構えており、重武装した警備員が歓迎してくれます。
 
アナイ鉱山近くに着陸する飛行機
単発プロペラ機がアナイ鉱山近くのサンタクルスの滑走路に着陸する。
アナイ
鉱山に到着すると、この場所はクォーツで溢れていることがすぐに明らかになります。 完璧な六角形の結晶などさまざまなサイズの塊が、鉱山に通じる道路に沿って、そして鉱山自体全体に埋め込まれているのです。 鉱山の敷地の周囲の丘陵は、クォーツの鉱脈を含むドロマイト石灰岩で形成されています。 いくつかの異なる立て杭が、これらの鉱脈に沿って敷地に掘削されており、好調な年には宝石品質のクォーツが3,000〜3,500㎏採掘されるとRiveroは推定します。 平均して生産量の重量ではアメシストが44%、アメトリンが33%、そしてシトリンが23%を占めていますが、アメトリンは製品のうちで最も大きな収益をもたらします。 生産の一部は、非常に淡いラベンダー色のものであり、Riveroはこれを「アナイタ」と呼んでいます。以前に廃棄されたいくつかの無色または乳白色の強いクォーツは、現在、装飾用として保管されています。

アナイ鉱山のアメシスト
Minerales y Metales del Oriente社のFernando Arrienがアナイ鉱山でいくつかの大きなアメシストの試料を検査しているところ。
好調な年では、70人から100人の労働者が鉱山で働きます。 Riveroは、鉱山がどのようにして運営されているか非常に誇りを持って説明します。 鉱山労働者は、毎日サッカーをして、おいしい料理を食べて、衛星テレビを見て、家に電話をするのに会社の電話を使用する、と彼は述べています。 アルコールは鉱山で禁止されており、同社は基本的な医療ケアを提供しています。
 
80.30カラットのアメトリン
この80.30ctのアメトリンのファンタジーカットは、Minerales y Metales del Oriente社の提供によるもの。
採鉱プロセス
アナイでの採鉱のほとんどは、鉱化したエリアまで拡張した強化された一連の立て杭および水平トンネルを介してアクセスできる地下で行われます。 しかし、小規模な露天掘り採鉱の地域もあります。 拡大が行われているトンネル内で、または露天掘りにおいて鉱化した地帯が手掘りのために砕かれる必要がある場合は、ダイナマイトが1日1回または2回使用されます。 アラームが鳴ると、誰もが隠れるところを探します。
               
爆破の後には空気が入れ替えられる必要があり、その後、鉱山労働者は緩んだ岩を取り除いたり、アメシストを含む領域をノミで削り取ります。 主要なトンネルでは、採鉱カートに表土が積まれ、いっぱいになるとわずかな傾斜を転がり落ちていきます。 一人の作業者が、そのカートを押します。 その表土は、エレベータシャフトで上に輸送され、シュートを下って野外にある別の採鉱カートに落とされます。 いっぱいになったカートは洗浄エリアに押し出され、そこで素材が落とされます。 放水銃でさらに岩や泥の塊が緩められ、粒子状物質は一連のふるいを使って分別されます。 アナイ鉱山は、粒子状物質がもたらす環境破壊について意識しており、これらがパンタナールの下流に流れるものであった場合は特に細心の注意を払います。 したがって微粒子は、一連の溜池に細心の注意を払って収集されます。

アナイ鉱山での採鉱
アナイ鉱山の採鉱事業。
洗浄した後、素材は袋詰めされ、保護された予備選別施設に持ち出されます。 ここでは約20人の従業員が素材の評価を始めます。 いくつかのものには、ファセットカットが可能な素材のみを見つけるために、もしくは重量を減らすために、小割りと呼ばれるハンマーで砕く作業が行われます。 実際にアナイでファセットカットされるものはありませんが、予備選別は、後のカット工程の合理化を目的としています。
           
鉱山では、ダイナマイトの使用に関して政府の規制を遵守していることに誇りを持っています。 また、鉱山労働者は、空中を飛んでくるクォーツ粒子から保護するため、ヘルメット、手袋(クォーツでは壊れたガラスのように簡単に切り傷ができます)、目の保護、およびマスクなどの保護具を着用しています。

帰りの旅も、困難です。 鉱山の産出物は、ラグナマンディオーレにトラックで運ばれ、はしけの上に積まれます。 そこから長い時間をかけてプエルトスアレスまで辿り着き、そこから一時保管​​施設に輸送されます。 原石は、必要に応じてサンタクルスにある加工工場に出荷されます。
 
アナイ鉱山からの原石の下洗い
この作業員は、鉱山から産出した原石を予備洗浄している。 鉱山の下流の水質汚染を防ぐために、重量別に沈殿物が溜池に集められる。
製造プロセス
鉱山の産出物を選鉱し、素材を輝く宝石に変える主な施設は、サンタクルスの工業団地にあります。 素材はここでさらに分類され、選別され、工場で予備成形やカットの適切な作業者にきちんと渡されます。 予備成形によりアメトリンのカラーゾーニングが明らかになり、これにより熟練したカット作業者は宝石の最終的な結果を決定できます。 また、作業者は工場の決めたジュエリーデザインに完全に合うように、または海外メーカーの仕様を満たすように、宝石を成形加工します。 デザイナー、予備成型作業者、カット作業者、宝石商が、すべて一つの屋根の下にあるため、明確なコミュニケーションが必要とされています。 形式張らない開放的方針は、このタイプのコミュニケーションを促進しています。

アナイ鉱山でのクォーツのコーミングと選別
ファセッティング又は輸出準備のためにサンタクルスに送られる前のクォーツを、アナイ鉱山で細かく調べて選別する女性。
Minerales y Metales del Oriente
鉱業グループの親会社Minerales y Metales del Orienteで、カット作業者は組織化された環境で作業し、石をカットおよび研磨する際に生じるシリカ粉塵を吸引しないようマスクを着用している。
アメシスト、アメトリン、シトリンの分類
Minerales y Metales del Oriente社のこの若い女性は、アメシスト、アメトリン、シトリンを選別している。
CAD/CAMからアメトリンモデル
Minerales y Metales del Oriente社の加工工場では、アメトリンをカットおよび研磨して、ジュエリー用に準備を整える。 CAD/CAMで作られたこれらのモデルは、アメトリンをセットするジュエリーのもの。
ラインの終端
完成した宝飾品をその最終目的地である市場へ送り出す準備がついに整いました。 原石および予備成形されたアメシスト、アメトリン、シトリンの製品の一部は、世界中の市場へ輸出される予定が立っていますが、M&Mの独自の小売部門は、小売環境で完成品を販売するための収益性テスト市場として機能しています。 サンタクルスのM&Mの非の打ちどころのないショールームは、意欲的で才能のある作家やアーティスト、ミュージシャンのためのフォーラムとして機能しています。彼らは、店頭で作品を展示したり実演するように招かれる機会が多くあります。 ここに招かれたゲストの方々は、その代わりに全国中でアナヒのメッセージをそれぞれ伝えてくれます。 この戦略は見過ごされはしませんでした。 「ボリビアニータ」としても知られているアメトリンは、同国の国家宝石となったのです。
               
MandM(エム・アンド・エム)のショールーム・ブティック
Minerales y Metales del Oriente社の小売部門は、同社のアナイ鉱山から産出されたアメトリンを用いた完成品のジュエリーを販売している。 この写真は、M&Mのショールームのブティックの中で撮影された。
アメトリンは、ステータス、市場へのアピール、そして与えられた宝石の価値を高めることを求めている者にとって、「鉱山から市場へ」という素晴らしいモデルとなっています。 そして、このユニークな宝石の産出地を調査しながら私たちは、ボリビアの文化、美しさ、そして歴史的背景に関する理解をさらに深めることができました。

17.80カラットのアメトリン
 この17.80ctのアメトリンは様式化されたブリオレットである。 提供:Minerales y Metales del Oriente
48.90カラットのアメトリン
凹面ファセットを持つこの48.90ctのアメトリンは、Dalan Hargraveによりカットされたもの。 提供:Minerales y Metales del Oriente