Robert Kammerling (1947年–1996年)

ジェモロジストの間で巨匠とされるKammerlingは十分それに値しています。 米国政府職員としてチベット、エチオピア、アフガニスタンなどエキゾチック場所で初期のキャリアを積んだ後、 Kammerlingは宝石への情熱に従い、1981年GIAに入学しました。 そしてグラジュエイトジェモロジーの試験では担当講師がそれまでに目にしたことが無いような最高点を出しました。 半年後やすやすとコースを修了し、KammerlingはGIA講師として宝石鑑別とカラーストーンのコースを教えるようになり、彼の持ち前の鋭い機知と鋭敏な洞察力で学生達からの質問にもてきぱきと対処していました。
疲れを知らない講師が作家となるのにそう長くはかかりませんでした。 彼は、
GIAの宝石鑑別マニュアルの修正を始め、1991年にはこの分野における重要な教科書であるGemology(宝石学)の第二版をCornelius Hurlbutと共同執筆しました。 1980年代と90年代のKammerlingは広範囲にわたる宝石産地での研究をもとに何百もの画期的な記事を書きました。 彼は最後まで真の科学的理解とは、じかに得られる経験から生じるものあると、固く信じ続けました。
一個人として、Kammerlingはカリスマ性を持っていました。 ジェモロジストとして、業界に利益をもたらす宝石鑑別の飛躍的発展にその冒険心と、休むことを知らないエネルギーを費やしました。 1980年代後半、KammerlingとGIAの同僚John Koivulaは、ガラスで満たされたダイヤモンドのフラクチャーを識別するための方法を検討しました。その処理とはほぼ無色ダイヤモンドの市場を大混乱させたクラリティ(透明度)のエンハンスメントの技法でした。 二人は、識別基準となったフラッシュ効果、として知られる実用的な視覚的手がかりを発見しました。 仲間の研究者が加わりKammerlingはその後、処理とその探知の仕方を広めるための大規模な全米巡回公演に出かけます。
エメラルドのフィラーのオプティコン(Opticon)に関する初めての主要研究を先導していた1990年代には、常に仕事中毒であるKammerlingは、自宅に仕事を持ち帰っていました。 彼の台所のテーブルの上のエメラルドの山に覆いかぶさるようにして、夜中になるまで自らその石を洗浄して処理しました。 実に見事な研究者の粘り強さは、エメラルドの需要を弱めていた市場の重要課題を解決する手立てともなりました。 2000年Kammerlingの貢献の結果として、天然エメラルドのクラリティ(透明度)エンハンスメント度合の測定に関する新しいGIAエメラルドレポートを発表しました。
1995年、Robert KammerlingはGIAのRichard T. Liddicoat功労賞を受賞しました。 講師、著者、研究者としての彼の幅広い影響は業界を良い方向へと変えることとなりました。