古くから続く婚約指輪


婚約指輪のロマンチックな伝統は、時間を超えて共鳴します。 ローマ人は、簡素な鉄の輪を婚約指輪として最初に使用しました。 上流階級の人々は、屋内では鉄のリングを着用し、屋外へ出るときにはより価値のある金のリングに交換していました。 早くも4世紀に、手の込んだデザインから単純に「honey(愛する人)」という文字まで、リングの内側に装飾が刻印されました。 5世紀のローマの作家マクロビウスによると、婚約指輪は左手の薬指に着用されていました。 薬指から心臓に直接繋がる血管がある、と信じられていたのです。 今日まで、婚約指輪を身に着けるという何世紀も古くからの習慣が続いています。

中世の時代には、初めてサファイアとルビーが婚約指輪に装飾され、15世紀にはダイヤモンドが組み込まれました。 婚約指輪へのダイヤモンドの使用についての最も初期の記録は、Moroltinger(モロルティンガー)博士が、1477年に書いたものでした。彼は、後の神聖ローマ皇帝マクシミリアンに、婚約者マリー・ド・ブルゴーニュに送る婚約指輪にダイヤモンドをセットするようアドバイスした人物です。 火と鋼に耐えるダイヤモンドは、生涯のパートナーシップの不屈の精神を意味しました。 ダイヤモンドや他の宝石のグレーディング、および鑑別における世界有数の権威であるGIAによると、初期のカット技術では、宝石は鈍く見え、ひどければ黒く見えたと言います。 金細工職人はつやのない石を補うため、ロゼットやアヤメなどのロマンティックな概念から構成された精巧なデザインを設置台に施し、花嫁の純潔性を象徴しました。

ダイヤのリングよりも短命であるイグサのリングは、葉や草から急きょ作られた指輪で、多くの場合、短い婚約期間のみ着けられました。 より長く着けられ人気のあった16世紀のリングである、フェデ・リング(フェデ(fede)はイタリア語で信仰の意)は、握り合う2つの手を中心的なイメージとして結婚の不変性を表しました。

18世紀には、ブラジルでのダイヤモンドの発見により、ダイヤモンドジュエリーはより容易に入手できるようになり、ダイヤモンドクラスターの婚約指輪が流行しました。 一般的なクラスターのデザインは、より大きなセンターストーンの周りに、小さなローズカットダイヤモンドを配置するようにデザインされていました。

19世紀には、産業革命と、新たに発見されたアフリカのダイヤモンド鉱山からの豊富な​​供給によって、富が広まり、より多くの人々がダイヤモンドを手に入れることができるようになりました。 GIAのダイヤモンド専門家はまた、この時期は、カットとポリッシングの革命的な進化に特徴づけられ、その進化により、ダイヤモンドが他の宝石を卓越した輝きを示すようになったと言います。 そして、ダイヤモンドが単独で使用されるようになったので、ソリティアの婚約指輪が流行しました。

Charles L. Tiffany(チャールズ・L・ティファニー)によって1886年に導入された、古典的なティファニーマウント設定は、シンプルさ、優雅さを備え、ダイヤモンドの美しさを理想的に補完しました。 開かれた6つのプロングに高くセットされたダイヤモンドデザインにより、より多くの光が宝石に当たり、最大の輝きが発揮されます。 今日の恋人達は、婚約指輪をあらゆる選択肢の中から選ぶ事ができます。何世紀にもわたる愛と伝統を意味するシンボルであるというだけでなく、自分達自身を表現するリングを選択できるのです。