ファンシーカラーダイヤモンドの歴史と伝承
司祭や統治者、バラモンには、「巻貝の純白、ハスの純白、水晶の純白」(白または無色)を意味するダイヤモンドの所有が許されていました。 地主と戦士には、「野ウサギの目の茶色」のダイヤモンドが割り当てられていました。 商人階級は、「かなり陰影のあるKadl(蛸の木)の花びら」を意味するイエローダイヤモンドのみ所有を許されていました。 そして下層階級のメンバーには、「光沢のある剣の輝き」を意味するグレーまたはブラックのダイヤモンドが割り当てられました。 しかし王には、どの色のダイヤモンドをも持ってもよい自由がありました。
ダイヤモンドのカラーグレーディングシステムは、当時に比べるとかなり進化してきました。 今日では、巻貝の殻、ウサギの目、花びらとの比較よりもっと多くのことに基づいて、ダイヤモンドの色を判定する確立された方法があります。 そして今では、どの色であっても所有できるかどうかは、入手しやすさと価格だけで決まります。
ファンシーカラーダイヤモンドはこれまで長いこと、ダイヤモンド産業においてごく一部を占めるだけでしたが、その人気と入手しやすさは過去数十年で大きく伸びました。 1980年代にオーストラリアアーガイル鉱山では、「シャンパン」や「コニャック」などの商品名で、ブラウンのダイヤモンドの販売を開始しました。アーガイルは、ファンシーカラーダイヤモンドを世界に認知させるという目標を達成したので、1990年代後半でそのマーケティングキャンペーンを止めました。 今日でもアーガイル鉱山はブラウンダイヤモンドを産出しますが、希少性のあるピンクダイヤモンドの世界の主要産地としての方が有名です。
ファンシーカラーダイヤモンドの、歴史的にも現在でも最もよく知られている産出地は、インド、南アフリカ、オーストラリアです。 ブラジル、ベネズエラ、ガイアナ、インドネシアなど他のダイヤモンド鉱山地域でもまた、ファンシーカラーダイヤモンドが産出されます。